愛の森コラム
2014年07月01日(火)

集団的自衛と消滅可能性市町村

日本維新の会の分裂は想定内としても、日本の威信の復活が使命とばかり安倍政権は、集団的自衛権への解釈改憲を着々に進めつつ、あとは公明党の皆さんの防波堤がどこまで長く高く維持出来るかにかかっている現状にある。正義に照らせば、仲よくしている友人が、他者からひどい仕打ちを受けたとすれば、友人を助ける為に我が身を挺して攻撃に加わることが人の道ということになろう。しかしながら、例えば愛の森学園に行動指針があったとして、「どんな理由があろうとも争いは禁止とし、話し合いを持って解決をはかる」と明文化されていた場合は複雑になる。友人も大切であるが、また組織としての愛の森学園の指針も重要で ある。平和を守る為には、原理原則を重視するか、現実の変化に即し、変質させるかは実に実に難しい問題である。せめて国会で十分討議を尽くしていただきたい集団的自衛権であり、悲惨な戦争を二度と繰り返さない最大限の抑制を結実していただきたいと切に祈る昨今である。


 そんな政治情勢の中で、愛の森学園でも集団的自衛の策の必要性が現実化して来た。障害者虐待防止法・障害者差別解消法の成立、障害者権利条約の批准により、不当な障害者への行為には通報義務が課せられ、最大限の合理的配慮が求められる時代を迎えた。まさに「ノーマライゼション」「完全参加と平等」というここ数十年言われ続けてきた宿題が結実したということになろうか?しかしながら、利用者本位の自己選択、自己決定による対等な関係が、 はたして現実の障害者に関わる実態の中で具現化出来るかと言えば、周囲の既得権者たちは、集団的自衛の策を行使しつつ、自らを身を守る術を開発、いや暗躍させるに違いない。その疑似正義は、サービス受給者との軋轢回避に奔走しつつ、不適当かつ、無理難題の要求+クレームに対しては毅然と闘う術を多勢の力に すがって自衛するということである。私のような古いタイプの福祉従事者にとっては、解釈改策はお手のものであり、自らの立ち位置を守る保守派の連合隊を形成し、対等な関係は仮の姿と割り切り、法人経営のサバイバル、いやリスクマネジメントに終始するということである。その一端は、ハイクオリティ支援が必要 なハイリスク利用者の切り捨て、サービス受給者との軋轢解消のための専門職・第三者機関の導入、時代が求めるハイリスクニーズ(医療行為や看取り)の取捨選択等の策を巧妙に行使するという事である。


 そんな傲慢なことを・・・を自戒しつつも日本の未来は、様々な集団的自衛を不可能にする消滅可能性市町村が雨後の竹の子のように全国津々浦々を誕生し、街は高齢化の中で衰退し、行政サービスがままならない、治安悪化の無法地帯になる可能性が高いという。当然、自衛隊を目指す若者、障害者福祉を担う若者も枯渇することになる。ゆえに平和は維持されるかも知れないが、集団的自衛という行使自体は、予算削減と人手不足の中で衰退する運命となろう。国立競技場のリニューアル、山手線新駅の誕生にリニアモーターカーとオリンピック前の公共工事に浮かれ気分の東京であるが、人口の一極集中の中で、 首都直下の地震が起きたらどうなるのだろう。不安の中で、錦糸町公園から紫色に染まるスカイツリーを仰ぎ見た文月の夕暮れの思いである。

2014/07/01 14:22 | 施設長のコラム