明快にして、的確に政治の現実を分析していただいた評論家の岩見隆夫氏が亡くなった。哀悼の意を表すとともに、氏の最後の論文が「中央公論」に掲載され、読ませていただいた。
氏の分析によれば、政治家は「ヒステリー」、マスコミは「せっかち」、官僚は「冷笑」であるという。私的に解釈すれば、選挙が怖い政治家は、時代が求める政策と選挙民、あるいは支持母体の既得権との板挟みの中でヒステリーを起こし、マスコミは、視聴率、販売数アップのための特ダネをとるためにストーカーのごとく政治家の足をすくうネタさがしにせっかちになり、官僚はそんなポピュリズム(大衆迎合)に高見の見物を決め込み、冷笑し、自らの利権に奔走しているということであろうか?
また氏は、日本人を「あきらめよく」「ふてぶてしい」と分析している。そう考えると、我が処世術も自立と利他の精神に傾倒するより、 他者、特に強者にひれ伏し、時代が強者を変化させれば、すぐに乗り換えるという生きざまの道のりであったと自戒する。我がささやかな人生の中で「あきらめ」と「傲慢」が同居した事は否定出来ない。
氏は故大平正芳元総理大臣を評価した。若い皆さんには「誰?」ということになろうが、我が青春時代は「三角大福中」と言われた実力者 政治家(自民党の派閥の領袖)のひとりである。因みに、三木武夫氏、田中角栄氏、大平正芳氏、福田赳夫氏、中曽根康弘氏である。「日本列島改造論」の田中角栄氏は、名前から戴いたが、名字の頭文字四文字と合わせて時の権力者を表した。講釈はこのくらいにして、氏は、大平氏の「田園都市構想」にシンパシィを感じていたという。人口20万人程度の都市が日本全国に散在し、都市の周囲には、日本の原風景である田園が緑と水をたたえる街づくりであったという。しか し、評価の賛否は別にして、日本列島改造が日本の原風景を利便優先で破壊する。そんな氏の思いはいまや不可能となってしまった。しかし、教訓は残る。「せっかち」なマスコミが「ゆっくり」とヒステリーに陥りがちな政治家の治療をしていけるのか?「冷笑」を生き様とする官僚が「人間らしい笑顔」を取り戻せるか・・・?
昨今の障害者福祉もヒステリーにして、せっかち気味ではないかと思う。「利用者本位の自己選択・自己決定」「地域移行」。「ノーマライゼーション」に「インクルージョン」。「セルフマネジメント」「合理的配慮」に「計画相談」などなど・・・。理念はそれぞれに正しいとは思いつつ、その仕組み成熟への基盤整備と財源投資を甚だ忘れている。迫る大震災への防災対策、枯渇する福祉労働者の人材確保策というハード、ソフトの基盤整備なしには、 理念は求めるべき目標から、冷めたスローガン、袖ケ浦的事件もどきの不埒な再発への予兆に奈落してしまうことを肝に命じるべきである。「そんな現実を誰かが冷笑している・・・」と思うと腹が立つが、新年度は有言実行、体たらく撲滅を誓いつつ、心意気は春爛漫、いや福祉爛漫を目指したいと思う弥生の始まりである。