新年度を迎えるにあたって、改めて人間対人間の仕事に携わる者として、勝手ながらの思いをご披露させていただく。
まず、驚かされたのは、iPS細胞に勝るとも劣らぬSTAP細胞発見のニュースとその後のすったもんだである。刺激だけで、新万能細胞が造り出せると聞き、「何のこっちゃ」と思いつつ、ついに養老の滝を思い浮かべたが、不老不死が実現する日は眉唾だったのか・・・と複雑な気持ちになる。生みの母の若きムーミン好きの才色兼備の人間は。疑惑のヒロインとなってしまった。
次もというか・・・佐村河内守氏の偽りの人生の発覚である。ろう者として振舞い現代のべートーベンとしてマスコミが持ち上げたご当人は、根っからの詐欺師であった。髪を切り、髭を剃った会見で、ゴーストライター新垣隆氏を「逆告訴する」と言い巻いたその人間性に唖然とした。言われるがままに様々な名曲を生み出した作曲家も人間、その名曲を我がものとし、更に今度は真実とばかりにまくしたてる輩も人間である。
三つ目は、圧倒的な強さと、誰もが信じて疑わなかった高梨沙羅選手の第四位というソチオリンピックの結果である。17歳の双肩に金メダルのプレッシャーは想像を超えていたのかも知れない。高梨選手も、弱冠17歳の可愛らしい人間であった。プレッシャーを跳ね除けたのは、42歳のレジェンド葛西選手。最高の舞を披露した浅田真央選手も素敵な人間であった。
最後に、「明日ママがいない」(日本テレビ)がセンセーショナルな問題提起を醸し出した。あかちゃんポスト、児童施設の実態とは、かけ離れた描写への非難・抗議。しかしながら「物語(フィクション)」であるという「表現の自由」尊重派と意見は分かれた。主人公芦田愛菜ちゃんも健気な人間、脚本家の野島伸司氏も鬼才の人間である。
世相は、価値観の多様化の中で、様々な人間模様を繰り広げる。「仲良くしましょう」と激を飛ばしても、様々な権利と権利が、様々な価値観と価値観が、様々な正義感と正義感が、様々な国家感と国家感が個性・特性、既得権益という唯我独尊主義によって、諍いを繰り返す事態は残念ながら避けられないのが人の世の常かも知れない。安倍政権の前のめりの政治理念は変化しそうになく、如何せん、都知事選の20歳代の得票順位が1位舛添氏、2位田母神氏と知り、時代の危険な兆候を感じ取ったのは私が錯覚だろうか?
障害者福祉は世相から取り残されつつあると感じつつ、国家的危機にはせめて加害者の役回りをしないだけ気が楽かも知れない。安倍総理大臣も人間、舛添新都知事も人間、田母神氏も人間、勿論、障害を持たれたひとりひとりも人間である。桜の散り際に無常を感じるのも人間である。