愛の森コラム
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2018年11月01日(木)

「親方日の丸」からの意識改革

JR東日本会長が国鉄の分割民営化から30年を語る、ある番組を見ました。
昭和62年4月に国鉄はJR東日本や西日本など数社に分割民営化されました。
今では信じられませんが、民営化前の国鉄時代はストライキにより、電車の運行が止まることがしばしばありました。今の時代そんなことしたら大騒ぎですが…。
当時、一介の国鉄職員であった現会長は、ストライキによって運行がされない貨物列車のコンテナに載せられた大量のみかんが腐ってしまうと心配したそうです。しかし、そんなことは要らぬ心配、この大量のみかんはトラックが運んでいったそうです。
昭和50年代、トラックや飛行機での輸送が格段に伸びてきた時代、貨物列車が衰退していく時代、この状況にとても危機感を覚えたと言います。
当時、実際に国鉄で働いていた方々は、お客様第一で仕事をしていなかったとは思いませんが、国鉄という会社自体が「親方日の丸」をバックに、利用するお客様のほうを向いていなかったかもしれません。
JR東日本会長は「今ではお客様だが、国鉄時代はお客さん、社内的にはお客だった。」 と言います。社員の根底に「親方日の丸」の意識があったのだろうと言います。
時代は変わり、湘南新宿ラインなどのように、各路線の乗り入れによって、電車での移動は格段に利便性が良くなりました。また革命的な技術の進歩で、電子マネーSuicaが広く普及しました。駅には商業施設が入り、高架下は飲食店が並び、都市圏の駅は活性化されてきました。そんな中、社員の「お客様第一」の意識革命も同時に進んだといいます。

「親方日の丸」の意識と危機感
社会福祉法人は当時の国鉄と同じ状況ではないかと思います。
社会的弱者のセーフティーネットという大義名分により、「親方日の丸」背負って、社会福祉法人は国に守られています。
介護保険法から障害者総合支援法と、目まぐるしく変わる福祉法制により、守られているだけの社会福祉法人の時代は既に終わっているはずなのに、NPO法人や民間福祉サービス事業者よりも、社会福祉法人は手厚く守られています。
そのため、平成29年度からの社会福祉法の改正によって、より明確に社会福祉法人のあり方を示すように、事業者には厳しいハードルが課せられました。社会への説明責任、地域貢献、事業の運営や財務の透明性などが強く求められています。私は日々の業務から、社会福祉法人に対する外からの目が厳しくなってきていることを痛感しているこの頃です。

社会福祉事業の意識改革
「思いやり」「寄り添い」「尊重する」など、福祉職員の姿勢として根底にあるものは、大きく変わることはないと思います。しかし専門職としての心構えや技術的な部分、障害者差別禁止法や福祉サービス種別など福祉施策、コンプライアンスの遵守やガバナンスの強化など社会福祉事業を取り巻く部分は、日々進化、変革をしています。
日本の社会福祉事業を切り開いた、多くの先生方が示した、福祉従事者の姿勢は変わることはなくとも、社会福祉事業の運営はその時代に合わせて変わっていかねばなりません。そのためには、日々の勉強と柔軟な考え方が重要であると思います。正直いまの私に一番足りない部分であることは否めません。

利用者さん⇒ご利用者様
JR社員のお客様への意識が変化していったように、社会福祉法人の職員も利用者支援の意識改革が強く求められています。
実際、高齢者施設の多くは「ご利用者様」と言う時代になりました。
障がい者支援施設においても「ご利用者様」と言うところが増えてきています。
しかし愛の森学園においては、未だ「利用者さん」と言います。
明日から職員へ「これからは「ご利用者様」と言うことにしましょう。業務命令です。」とすれば良いだけの話かもしれませんが、この部分はしっかりと話あって変えていかねばならないと考えます。
言葉を変えることで、利用者支援の意識改革は進んでいくかもしれませんが、社外的な呼び方をいくら丁寧にしても、社内的に「利用者」と言っていれば意味のないことです。

普遍的な社会福祉事業の責務とは?
時代と共に変化が求められる社会福祉法人の責務とは?
利用者さんをご利用者様と言う意味は?

時間をかけてでも、しっかりと揺るぎない考えを持って、それを後進に伝えていきたいと思う、肌寒い秋の夜長です。
 

職員M

2018/11/01 09:00 | 職員のコラム

2018年10月01日(月)

実りの秋に

暑さ寒さも彼岸まで、と言うのは昔の言葉だと思っていたが、今年は彼岸が過ぎると季節が変わった。愛の森学園で過ごすみなさんも長袖に腕を通し冬掛け布団に入れ替えて、めぐる季節の不思議を感じる。

利用者さんと柿の話をしながら思う、桃栗3年柿8年。桃の季節が過ぎ栗は毬を纏って実を見せながら、柿は枝を垂らしている。物事には時間が必要だ。めぐる季節を繰り返すことで、少しずつ形になる…というのは、世の中のたくさんの事に言える話。

ちなみに、愛の森学園の園庭の柿の木は、実がよく生る。毎年利用者さんと一緒に、時にサルに先を越されつつ、甘く熟した柿を頂くのも秋の楽しみ。また愛の森学園の園庭には、栗の木もある。しかし植えられてこの方、実が生ったことはないそうだ。

何かを学ぼうとして、何かを知ろうとして、何かを得ようとして、一朝一夕で適えられることはない。だから、世界が劇的に変わることはない。支援者の目線で、これはいつでも思わずにいられない。利用者さんの姿は日々変化し、何が必要で何を求められているか、常に模索している。昨日の正解が今日の正解とは限らない、どこまでも続く道だ。

しかし、しばしば世間を賑わす出来事が起こる。何かが起こると社会は変化する。季節のめぐり、時の流れのなかでは少々乱暴なやり方にも思えるが、しかしこうした時にしか社会は変わる事が出来ないらしい。これが歴史となる。そう思えば、世界はマイノリティが作っているのでは、という思考に至った。声を上げにくいはずのマイノリティは、時にマジョリティには到底適わない程のエネルギーを持つ。善悪はともかくとして、社会に変化を期待するのはむしろマイノリティなのだろうと思う。歴史を作ってきた英雄豪傑たちも、マイノリティからのスタートだ。

利用者さんたちの声は世間に届きにくく、その声を聴くのが我々の仕事である。聴くと訴える声は、「美味しいものが食べたい」「遊びに行きたい」等とても身近なものだ。しかしそんな身近なことさえ、簡単に適えられそうに見えて実はたくさんの確認や調整が必要になっているのが、現状である。何かが起きるとそれに対処する為の手順が増える。これは行政でも、愛の森学園での支援でも同じことのようだ。もっと簡潔に、利用者さん本人の思いを適えられるようになっていかなくては、と思いを改める。

10月は愛の森学園の一大イベント、森のカーニバルが待っている。まさに今、その準備が進められる中で、日々の生活が送られている。騒がしく過ごす日々の中では忘れがちであるが、「小さなこと程丁寧に」という思いを常に心に留め置いて毎日を過ごしていきたい。
 

愛の森学園 職員・O

2018/10/01 09:00 | 職員のコラム

2018年08月31日(金)

世界でいちばん熱い夏!? 2018

このタイトルでピンっ!とくる世代は今月の筆者と同世代と想像させて頂く。
30年ほど前にプリンセスプリンセスが発売したシングルでしたね。

今年の夏は異常とも言える酷暑となった。例年にない梅雨明けの早さと、7月中から猛暑日が常連になるなど、記録的な暑さが続いた。
テレビの天気予報では、連日熱中症警戒予報も合わせてお知らせしてくれる。屋外での活動に対し、「注意」「警戒」「厳重警戒」「危険」が主なランクとなる。中でも「危険」と予報される日が今年は多く見られたであろう。しかし、恒例の夏の行事は、暑さに配慮をしつつも必ず実行される。その一つが夏の全国高校野球選手権大会だ。7月からの都道府県大会から始まり、暑さのピークとなる8月上旬から甲子園大会が開催される。特に神奈川県は学校数も多いことから、県内の主要球場にて過密スケジュールで熱戦が繰り広げられる。私自身野球はできないが観戦が大好きな為、アイフォンでトーナメント表を確認しながら休日に近隣球場で、必死に頑張る高校球児を応援するのが夏の楽しみの一つである。ところが、事前の天気予報を見ると熱中症ランクが「危険」(原則屋外での活動は中止)となることもしばしば。これを見ていつも思うのは、試合が暑さの為に中止や延期になることが無いということである。私もしっかり暑さ対策を施し球場に足を運ぶのであるがそれでもかなり暑い。とりわけグラウンドレベルの球児たちの体感温度は計り知れないと容易に想像するのである。ここ近年の光景としては、試合中に脱水によるものと思われる筋肉の痙攣(つる)がよく見られ、味方ベンチ敵ベンチ両軍から控えの選手が水分を持って飛び出てくる。そりゃそーなるよなと思いつつも試合は一時的な中断の後に再開される。天気予報の熱中症警戒予報に意味があるのかと疑問を抱きつつも、夏の風物詩でもあり高野連の諸事情等、夏の暑さを避けたスケジュールの組み直しは当分行われないであろう。汗水流し最後の夏に情熱をかける高校球児が、熱中症などによる事故が起きないことを願いつつ、自分も汗を流し球児と一緒に暑さを共感するのである。県代表の横浜・慶應は早くに散りながらも、準優勝の金足農業の大フィーバーで幕を閉じた、100回記念大会に相応しい夏の甲子園であった。

こちらもやはり夏の恒例行事?でもある日テレ系の24時間テレビが先日放映され、芸人の「みやぞん」が初のトライアスロン方式のチャリティマラソンに挑み、見事放送時間内での感動的なゴールを果たした。しかしネット上に踊った評価は「意味がわからない」「暑さの中で危険な行為」「事故があったらどうする」等、暑さ・企画・目的に対する批判が多く、感動と評するコメントはごく少数であった。武道館がゴールである以上、アスファルトの照返し地獄が待ち受ける都内をマラソンで走破するのは、確かに危険な行為かもしれない。残暑と呼ぶにも「みやぞん」が走った当日は桁違いの暑さであった。世論の評価で24時間テレビの風物詩?のチャリティマラソンは企画変更を余儀なくされるのであろうか・・・

兎にも角にも、世界でいちばん熱い(暑い)夏ではあったが、愛の森学園の利用者さんは適度にコントロールされた空調完備のもと、大きな体調異変もなく元気に乗り切ることができた。暑さには慣れも必要と思いつつも、無理をさせられないのが施設の実情であろう。もう少し涼しくなったら、初秋の風に吹かれながらの散策日課を再開させたい。
 

愛の森学園 職員・E

2018/08/31 17:00 | 職員のコラム

2018年08月01日(水)

星野さんから頂いた「信念」

去る 6月29日(金) 愛の森学園 施設長 星野 茂 が永眠いたしました。
生前のご厚誼を深く感謝し、謹んでお知らせ致します。

7月28日(土) 愛の森学園にて、星野施設長のお別れ会を執り行いました。
大型台風の影響でお足元の悪い中、たくさんの皆様にご臨席を賜りましたこと、深く感謝申し上げます。

星野さんは、愛の森学園施設長を平成12年4月1日より務められ、今年が19年目の年でした。
こんなに長く施設長の職務を続けられたのは、利用者個々の支援、障害福祉サービス事業、ひいては社会福祉事業全体に対して、強い使命感と信念があったからこそだと、今思っています。

その強い信念は、愛の森学園に関わった人達の心に残り、愛の森学園の運営にも形となって残っていくことと思います。

私は、星野さんの強い信念を星野イズム(と言えば良いのか・・・)として、たくさん頂きました。そのうち幾つかをご紹介します。

「決断」
星野さんは重要なポストや業務に、しばしば可能性に掛けたギャンブル的な人事をする方でした。思い切って若手にチャンスを与える決断は天才的でした。また決断の速さは尋常ではありませんでした。

「思い立ったが吉日」
先ずはやってみろと言います。やってから考え、修正するという考え方です。なので決済を出してからは即実行・即実践を求められます。その反面、考えが違うと思ったらバッサリと否定されます・・・。私は幾度となくバッサリやられてきました。
一歩前に出ること、即実行することを学びました。

「目撃者責任」
見た人がやる。気づいたらその場でやる。おかしいと思ったら直ぐに言う。
担当が誰とか、やった人は違うとか、そんなことは関係なく、直ぐにやらなければいけないことはそこにいる人がやれば良いのです。

「目配り・気配り・心配り」
星野さんの文書によく出てくる言葉です。利用者支援をする人だけでなく、仕事をする全ての人が意識して業務に当たれば、きっと良い方向に変わるでしょう。

「世代交代」
星野さんは、数年前より頻繁に言うようになりました。単純に若い世代に引き継ぐってことだけでなく、多くの信念が篭っていた言葉と理解しています。
上席が部下に言う「世代交代」は、自らの引退宣言とも取れるわけで、それなりの地位がある人が言うこの言葉の意味は大きい。そして、その言葉を受けた者は、その責任の重さを感じつつ、腹をくくらねばならないと思っていました。

早く早すぎる「世代交代」が実践されてしまいました。
星野さんが決断し、一歩前に進み、信念が照らす道
その道を進むのは、正直楽でした。部下は後ろをついて行くだけでしたから・・・。
空から愛の森学園へ信念の光を照らしてくれると嬉しいです。

今の私は、星野さんに感謝の言葉しか浮かびません。
星野さんが示した、職員として、管理職としての姿勢は、反面教師的な部分もありますが、これからも私の中で生き続けます。
18年3ヶ月、本当に本当にお世話になりました。
安らかにお眠りください。

2018/08/01 09:00 | 職員のコラム

2018年06月29日(金)

集団と個から考える今

 田に水が張られ、美しい水田が目を惹く季節。四季を感じる日本の中でも、とりわけ日本らしさを感じる季節となった。諸外国が刊行している「日本のガイドブック」には、この景色が載せられているのをよく見かける。

 

ただ今サッカーワールドカップの真っ最中。果たしてロシアの地でトロフィーを抱くのは、どの国なのか。

開催前の日本はいまいち盛り上がりに欠けていたが、始まればやはり見てしまうし、ニュースの上位にランキングしてくるのはこの話題。しかし、サッカー大国のひしめくヨーロッパや南米は、国としての気迫がやはり強い。

 

 では、この「国」の概念とは一体何なのだろうか。戦争と平和を繰り返し、土地に引かれた見えない線、或いは海に隔てられた境。土地土地に住む人間は、形は同じでも特徴には違いも多い。しかし、日本から一番遠い外国であるペルーの人にはどこか親近感の湧く面立ちも見て取れ、不思議だ。その国に生まれ、その国で育つ。どこであっても同じ事が起きているのに、取り巻く周辺の環境によって、見えるもの感じるもの考えること、沢山の事が違ってくるのだから、変化も著しい。

 もともと日本は「集団」の意識が高く、「個」は後回しにされてきた。それが徐々に「個」が押し出され、「集団」とのバランスに変化が出てきている。社会は多数が変えるというよりも、少数が挙げた意見に多数が賛同して変わると思っている。こうした事から、障害者福祉を取り巻く環境も、日本の中で少しずつ変化してきているのではないか。

とは言えまだまだ世間に十分には認識されず、所謂マイナーな世界。日々を生活する利用者さんたちは、毎日大小の変化の中で、それぞれの時間を過ごしている。4年に1度のワールドカップが開催されていても、中継は深夜。寝ている時間だ。観戦の是非は置いておくとして、「集団」や「個」の捉え方の変化は、愛の森学園の中でも変化のきっかけになっていると思う。

 

 個別支援計画の立案では、その人が何をやりたいのか、を、汲み取る力が必要。

汲み取った後は、集団の中では個別への対応にも限りがあるし、出来る事と出来ない事がある、この葛藤。それでも、やりたい、と意思を示してくれた事へはなんとか実現させたいと思う一種の職員のエゴで、職員も頑張ってみる。「個」が重視され始めてきたからこその支援かもしれないし、少数が認められる社会になってきたからかもしれない。障害者福祉の世界だって、時代の変化と共に、確実に変化している。

支援は地図上に引かれた線のように、実際には見えない、言葉のないやりとり。言葉の裏に秘められた、日本人特有の行間を忘れずにいたい。

 

愛の森学園 職員O

2018/06/29 22:18 | 職員のコラム

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