愛の森コラム
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2019年08月30日(金)

生きにくい世の中に想う

今年も暑い暑い夏が終わろうとしている。
近年は日本全国、毎日が最高気温の更新みたいな日が続き、そんな気候は日本だけかと思えば、全世界でも異常高温の状態である。今年はヨーロッパ各地で40度を超える熱波に襲われている。異常気象なんて言葉、何年前から言われ続けているだろうか?少なくとも平成になってからは頻繁に聞くワードで間違いないと思う。
私が小学生のころ(35年以上前)は、天気予報で30度を超えると「お母さん!明日は30度だって!マジかよ」と言って扇風機の前に張り付いていた。熱波や豪雨などの異常気象は人間という生物にとって、なんとも「生きにくい」地球環境になったと感じる。

「生きにくい」と言えば職場の人間関係である。
表向きは仲良く見えても、それは皆さん大人なので、各自の領域が侵されなければトラブルや表だった不仲に発展することはない。しかし何かの拍子に弾けると取り返しのつかない泥沼へ突入することになる。そうならないためには関係性の良い時から別の第三者が話を聞いたり、グループ全体で話し合いをする機会を設けておくことが必要と感じる。

「生きにくい」と言えば子どもたちが置かれた環境である。
インクルーシブ教育やらなんやらと昨今の言われているが、昨今は「発達障害だから・・・」とか「パーソナリティ障害だから・・・」とか、ちょっと周りから浮くだけで区別(時には差別)されてしまう世の中。学校でのイジメの根絶は果てしなく遠く、子どもたちは皆、クラスの輪や立ち位置から溢れないように必死にすがっている。
それによって集団から浮いたり溢れたりした弱い立場の子たちが、自分らしく生きることが出来るように様々な学びや活動の場が提供出来きる仕組みにはなって来たが、その居場所を見つけることができるのはほんのひと握りに過ぎない。だから不登校も増え続けてるのかな?なんて思う。昔も区別されたり、集団の中で弱い立場になった子どもはいたし、不登校の子もいた。何十年も引き篭もりの人がまだ全国に何万人もいるなんて聞く。既存の学校という仕組み自体が限界に来てることは間違いない現実と思う。

人は千人千色、完全に安心できる環境を整え続ける事なんて不可能。どんな人でも、少なからず、暑くても寒くても、辛くて涙が出て、悔しくて怒っても、生きにくくても生きていく。
施設やグループホームで暮らす利用者さんの生活も「生きにくい世の中」の構図と同じである。だから、ひとりの支援者として、利用者さん一人ひとりの負担と我慢がピークにならないように、居場所を提供できるように、普段からの日々の支援が大切なのだと、しみじみ感じた夏の終わりの少し涼しい朝である。

2019/08/30 17:00 | 職員のコラム

2019年08月01日(木)

祝祭まであと1年!

オリンピック・パラリンピックまであと1年を切った。先日の観戦チケット当落では悲喜交々あったようだが、利用者さんはペットボトルの賞味期限の日付に「2020年」と書いてあるのを見つけて、「これオリンピックの年なんだよね!」と話しかけて下さる。

 

利用者さんに、オリンピック・パラリンピックについて聞いてみた。オリンピックについては「知ってる」と答える方が多い。「金メダル」との答えや、中にはしっかり「パラリンピック」とも答えて下さる方がいる。何が観たいかを尋ねると、「マラソン」「走るの」と、思いがけず陸上が人気のようだ。前回東京で開催された1964年生まれの方にも聞いてみたところ、「テレビで観る」となんとも現実的な答えが返ってきた。 テレビでの特集、そこかしこで見る「東京2020」の文字、やはり報道の力は大きいようで、利用者さんの中にも東京開催はどことなく感じられているようだ。開催への賛否はあったものの、いよいよに近づいてくると少しずつ盛り上がりを見せている。

 

利用者さんにも世界のトップレベルを生で観てもらい、その反応をみてみたいなと思いつつ、チケットは当然、ない。 利用者さんの言う通り、テレビで観るのが一番なのかもしれない。でも、少しでも現実のものとして感じてもらいたい。何か参加出来ることはないだろうか、と考えていたところ、聖火ランナーの募集を思った。厚木市も走る聖火ランナーは、一人200mだそうだ。最近とみに歩くことを面倒がる方が増えているが、テンションの上がる祝祭ならば、200mなら走って(歩いて?)くれるのではな・・・と、利用者さんに聞いてみた。皆さん「行く」との返事は下さるものの、まるで買い物に行くかのような、どこか現実離れした回答。もう少し皆さんにプレゼンテーションをして募ったら、誰か希望してくれるのかな。

 

そんな事を考えつつも、特に行動していないので、自分自身東京開催への現実感は薄い。先日行われた東京都内の大規模交通規制のニュースをみても、「この期間は東京には行かない方がいいなぁ」なんて思ってしまう。しかし各市区町村、開催に向けた事業が行われている。厚木市はニュージーランドのホストタウンとなっているので、大会に向けた体験ブースなども作られているらしい。

 

日常にばかり目を向けてしまいがちだが、またとない、せっかくの東京大会。あと1年、お祭り心をどこかにおいて、利用者さんと一緒に楽しんで待つ時間を創りたい。そうした事から経験値を重ねて、楽しんでやりたい事を見つけていけるようにするのが理想的だなぁと、机上の空論…にならないように、取り組んでいきたいところ。

 

職員 O

2019/08/01 09:00 | 職員のコラム

2019年06月28日(金)

住まいの場の意思決定

とある入所施設の、とある男性利用者さんの話である。

40歳代半ばでこの施設に入所され今日まで19年ほど過ごしてきた訳だが、ご本人、引越しを考えているという。自身の年齢が60歳代半ばになり、高齢者を特化して援助を実践している別の入所施設への移行を検討している最中だ。19年余り過ごしてきたこの施設にも強い愛着があり、他の利用者とも円滑な関係性を維持する温和な利用者であったが、先日、引越しを検討している高齢者施設へ職員と一緒に見学に行ったところで、どうやら心を大きく動かされた様子。(その施設には、診療室も歯科室も理髪室もあり、さらに自動販売機も多く設置されている等、彼にとっては安心感と魅力が沢山!?)そこから話はさらに進展し、お試しの体験入所の日程まで決定済みなのである。参考までに、現在彼が利用している入所施設の利用者の平均年齢は46歳くらい。知的障害の特性もあり加齢化が進んでいるものの、まだまだ若い利用者も多い。60歳代で入所利用しているのは彼だけである。

一般的に住まいを検討する時には、物件の住まい易さや、周囲の環境などを第一に考えるのが当然であろう。しかし、障害者支援施設(入所)に入居する際には、利用者の希望や意向はもとより、それぞれの事業所の役割や機能性によって利用者をマッチングさせる事が往々に起こるのである。彼自身、60歳代半ばに差し掛かるも、健脚とまでは言えないが支えなしの自力歩行が可能で、食事場面も見守りは必要だが自力摂取で食欲も旺盛であり、いわゆる元気である。しかし、現在利用している施設の機能性(総じてバリアフリー型ではなく、設立から30年以上経過)や、生活の安心・安全の担保・医療面等を考えると、彼がまだ元気なうちに機能が充実でハード面も整備された他施設へ移動した方が・・・と。実際に数年前からこのような内容で彼に対し、引っ越しを検討して頂けないかと、幾度も話をしてきた経緯もあったらしい。その時どきの彼は「まだ、65になったら。ここでいい。」と。

ここで忘れてはならないのが意思決定支援である。事件から3年。現在津久井やまゆり園が再生基本構想を軸に、主として住まいの場の意思決定支援が慎重に取り組まれているところだ。スケールとしては小さいが、この彼も今まさに住まいの場の意思決定支援が行われている。理解を得る為の情報提供手段の工夫、見学・体験利用を経たうえでの判断材料の蓄積など、本人本位の思いの中で最終的な意思決定になることが最善であろう。

上記に記したように時に施設職員は勝手で自己中心的であり、施設の事情や体制を都合よく解釈し『利用者のことを考えれば〇〇〇の方が良いに決まってる!』と、利用者の人生に安易に介入し、支援の美徳を得ようとするところがある。『わたしの気持ちや意思を確認していますか?』と、指摘を受けることがないように、今回の意思決定が住まいの場であることを、私たち職員は重んじ、慎重に、丁寧に、真摯に、最後まで対応しなければならない。

とある施設の話でした。

愛の森学園 職員・E

2019/06/28 17:00 | 職員のコラム

2019年05月31日(金)

「平成」から「令和」に思うこと

年号が平成から令和に変わり、テレビではまるで年末年始のゆく年くる年のようなお祭り騒ぎ。私自身も新たな時代に期待と喜びを感じつつも少し冷めた目でテレビを眺めていた。

昭和後期生まれの自分にとっては、平成は学生時代から就職、結婚、子育て(継続中)を駆け抜けた時代。ひとつの時代が終わり、新たな時代、我々の子ども達世代の時代が始まるのかなと、思いに耽ったりしてる。

話は変わるが、いつの時代にも人間は様々な出会いを経て大人になっていく。中島みゆきの曲ではないが、時代はまわるし、別れと出会いを繰り返す訳である。
私自身、平成の30年間は、ちゃらんぽらんな学生生活、就職、愛の森学園に転職して今に至る訳だ。このたった一行にたくさんの別れと出会いを繰り返している訳である。

人生は不思議だ。過去の大抵の出来事は、未来の今に何かしら繋がっている。嫌々やっていたことが大人になり糧になっていたことに気付くなんてしばしばあるし、人との出会いも同じで、仲の良い人や親兄弟のように自分に近しく理解のある人だけでなく、ウマの合わない人もいたから今の自分があり、思い返せばその人が大恩人だったりする。様々な出会いの分だけ人生のターニングポイントがあったと思う。
と言うことは、その出会いがひとつでも欠けていたりしたら今の自分は全く違う自分だったかもしれない。幾つものパラレルワールドがあったのかもしれないと思ったりする。
 
人間はひとりでは生きていけないなんて昔から何処かの誰かが言っているが、本当は1人で生きていこうと思えば、なんとなく1人で生きられたりするかも知れない。でも自らが生きてきた道程振り返ると完全に1人で生きることは不可能だし、そもそも人間なんてちっぽけなもので、意地を張って「1人でも生きられる!」なんてのは、思春期の子が頭に血が上って言う言葉である。
人として人と出会い、愛し愛されて、別れと出会いを繰り返しながら、生きていくのだ。今の私は、たくさんの人達との出会いのおかげで存在しているという考えに行き着く。

いつしか令和が終わりを迎える時、まだ私がこの世にいたならば、令和時代においての人生の変化に思いを馳せることだろう。
そして今よりももっと、たくさんの人達との出会いに感謝が出来る自分でありたいと思う。
 

職員 M

2019/05/31 17:00 | 職員のコラム

2019年05月01日(水)

「新しい時の幕開けに」

振り返ると平成は天災の時代だった。いつだったか、新聞でそのような記事を読んだ。

平成史を振り返れば、実にその通りだったと思う。

明治以降は天皇即位による改元となったが、それ以前は政治的策略、または天災などの続くときに改元されることが多かったようだ。これになぞらえば、平成は何度改元される可能性のあったことか。しかし日本は昔から、作っては壊れ、また作ることを繰り返してきた。島国だからこそ侵略されることもなく、この繰り返しが精神の鍛練と技術の進歩を生み、現在の発展に繋がる。

 

作っては壊れ、また作る。このいたちごっこは、いつまで続くのだろうか。地球がある限り、永遠に続くのだろうか。この壮大な考えは、やがて足元に着地して、自分自身を振り返る。

福祉の仕事をしていて、完成した、完結した、と思えることはない。常に懐疑心を持ちながら、おっかなびっくり進んでいく。不安で泣きたくなることも、うれしくてみんなに言いたくなることも、たくさんある。ひとつの達成は、ひとつの建物が出来るのと同じ。ハプニングが起きると、壊れてやり直し。人が他者を作ることはありえないが、その人生に介入という言葉でおじゃまさせて頂き、達成、完成や落胆の共感をしながら、道筋を共に辿っていく。所詮は人のするところ、この大きな世界の中で、私たちに一体何が出来るのだろうか。ややもすれば自己陶酔して独り善がりに満足しかねない危うさの中、冷静な目を持ち続けることの難しさ。

大きな世界の小さな輪の中で、少しでも、楽しい、と思ってもらえる時間を一緒に創ることが出来ているのだろうか。福祉って、一筋縄ではいかないな、と思う日々。何を思うのかと言えば、利用者さんの支援計画。この1年で、何を提供することが出来るのか。準備や評価の面から見ると、1年とはあっという間に過ぎる時間。意思決定支援に従って、成功も失敗もひっくるめて、充実した時をお届けしたい。まずは利用者さんと約束している、ジュースを買いに行かなくちゃ。

 

令和だろうと平成だろうと、天保でも天平でも嘉永でも、人々の生活が脈々と紡がれていくことに変わりはない。その中で、少しずつ世界は変わっていく。

 平成の30年と4か月、時代は大きく変わった。来る令和の時代は、どのような日々になるのだろうか。そしてわたしたちは、どのような時代を作り得るのか。

 

職員O

2019/05/01 09:26 | 職員のコラム

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