地球温暖化が取りざたされて久しいが、霜月を迎えると山々が錦に染まるのは変わらずの自然の姿である。そんな晩秋のひととき実習生とかわした会話のあらましである。
「Aさんの髪を引っ張る行為や唾を吐きかけるのはなぜなのでしょうか?」
「多分自分の存在感誇示の表れと思います」
「言葉が出ないためなのでしょうか?」
「それは大きいと思います。但し相手からすれば迷惑行為です」
「迷惑行為をなくさせるためにはどうしたら良いでしょうか?」
「実に難しい問題です。本人が迷惑を相手にかけていると認識すれば、「いけない」と反省し、やめるかも知れませんが、認識がない場合は遊び化してしまいます」
「なくならないということでしょうか?」
「かつては目には目をのやり方で、その行為の不快さを同じ行為を仕返しすることで本人に辛さを与え、矯正させる手段も行われていました。しかし 概して効果なく、体罰、虐待へとエスカレートしたため、今はご法度です」
「どうすれば良いのでしょうか?」
「理想論としては、環境を変え、他者の刺激をなくす空間を用意することです。しかし、現実の障害者福祉の現場では難題です。支援員が成長し、 利用者の行動特性への目配り、気配り、心配りに努めるしかありません。但し一定の支援を超える問題行動については、施錠や安定剤服薬が必要と考えます」
以上の会話の中身の是非は読んでいただく方の認識に委ねるとして、ここに支援員間の認識の誤差が出た場合は厄介である。 強硬論と懐柔論のぶつかり合いは温度差はあるもののつきもの・・・。 つまり、利用者の行動特性は、支援員間の心情特性を露わにさせ、時に人間関係に衝突を呼ぶという無意識的な心理作戦の妙が発生するのである。 それでは職員間のこんな場合はどうだろう。何事にも「だんまり」を通す職員がいたとする。本人に注意しても反応、反省なしである。 恙なくルーチンワークをこなし、利用者にはそれなりに親切で、大きな不具合はない。こんなケースにも強硬派と懐柔派の齟齬が発生する。 「組織人である以上、上席者の指摘はルールであり、より強い注意を喚起すべきである」と強硬派は主張する。 懐柔派は「そもそも他者に迷惑をかけているわけではなく、ルーチンワークをこなしているのだから、現状維持を容認すべきである」と主張する。 当のご本人は蚊帳の外で、「虫の羽音を聞きながら、無視を決め込む」という間接的心理作戦の妙に浸っている。 いやはや、障害者福祉の人材育成の難しさは深まりゆく秋の夜長のように、「パワハラ」という危険因子を抱えつつ、深く深く重く重くのしかかる昨今の様相なのである。