9月18日(金)は、いや翌日未明は、日本の歴史に残る、あるいは禍根を残した一日ということになるだろう。集団的自衛権を認める法案をはじめとする関連の様々な法改正が一括りにされて可決されたということである。昨今の緊迫した世界情勢、また日米友好には致し方ない解釈改憲と見る向きもあろうが、要は国会議員自らが、日本国憲法をないがしろにした、立憲主義への冒涜、また解釈改憲という法的安定性をないがしろにした罪は大きい。但し、国会の前で「憲法を守れ」「9条を守れ」と訴える老若男女(若者に期待しつつ)の叫びの中で、多勢に無勢の結果とあいなった。その後の安倍政権支持率は多少下がった程度で、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」にならぬことを祈るばかりである。
そんな夜に高校時代の友と、新宿で酒宴を持つ。以前はスバルビルの「互談や」という居酒屋がなじみだったのだが、耐震工事の為閉店となり、小田急エースの「わらびや」に席を移した。あまたある新宿西口の飲食街は、「安保」の歴史的転換の一夜という危機感をまったく感じさせない賑わいであった。友の一人がおもむろに一枚の写真を取り出す。文科大臣、下村博文氏との懇親会の写真であった。下村氏は安倍政権の中枢である。友の感激の説明を聞きつつ、「子供たちを二度と戦場に送るな」という創設当時の日教組のキャツチコピーが思い浮かんだ。麦焼酎「中々」のお湯割りをおかわりしつつ、「安保」とはまったく関係のないたわいない話題の中で酔いは「安保」を忘れさせた。
今回の多勢に無勢の原因の大本は、民主主義の根幹となる「選挙」への無関心に依拠するように思う。衆議院の場合、小選挙区制にして、低投票率であり、政治家が世襲という家業となってしまったことが主な原因と考える。例えば、選挙民100万人の○○選挙区の場合である。投票率が50%(50万人が棄権)で、A党候補とB党候とC党首候補が立候補したとする。結果は50対40対10となったとする。当選したのはA党候補の得票率50%であるが、投票率が50%ということは、実質選挙民の25%(得票数25万票)しか、支持していないということになる。棄権派の責任は、25%の代議士を誕生させてしまい「選挙民の支持を得た」と高飛車にさせてしまうことである。「棄権」は、最大の「危険」因子なのである。
法改正により、次回から18歳以上の国民に選挙権が付与された。被成年後見人も一票の重責が課せられる。若者たちには、安倍政権がやらないと明言した「徴兵制」危惧への審判が試される。解釈改憲という手段が多勢に無勢で結果を生み、法的安定性はゆがんでしまった。事と次第によっては、「兵役」が課せられるかも知れない。障害当事者には、戦時中の「ごくつぶし」と蔑まれた世相への回帰の抑止への重責が課せられる。東日本大震災、常総の街を覆い尽くした大水の惨禍の中での耐乏生活を想定して見ることである。戦争は確実に障害者をつくり、障害者を邪魔者扱いにする。
そんな大転換後のひとりひとりが試される神無月の始まりである。但し、ここが出発点という勇気ある指南もある。「あきらめない」ことに尽きる。「中々」をすすりつつ、なかなかうまく行かないご時世ではあるが、若者たちのエネルギーは、なかなか良いものである。