今年も暑い暑い夏が終わろうとしている。
近年は日本全国、毎日が最高気温の更新みたいな日が続き、そんな気候は日本だけかと思えば、全世界でも異常高温の状態である。今年はヨーロッパ各地で40度を超える熱波に襲われている。異常気象なんて言葉、何年前から言われ続けているだろうか?少なくとも平成になってからは頻繁に聞くワードで間違いないと思う。
私が小学生のころ(35年以上前)は、天気予報で30度を超えると「お母さん!明日は30度だって!マジかよ」と言って扇風機の前に張り付いていた。熱波や豪雨などの異常気象は人間という生物にとって、なんとも「生きにくい」地球環境になったと感じる。
「生きにくい」と言えば職場の人間関係である。
表向きは仲良く見えても、それは皆さん大人なので、各自の領域が侵されなければトラブルや表だった不仲に発展することはない。しかし何かの拍子に弾けると取り返しのつかない泥沼へ突入することになる。そうならないためには関係性の良い時から別の第三者が話を聞いたり、グループ全体で話し合いをする機会を設けておくことが必要と感じる。
「生きにくい」と言えば子どもたちが置かれた環境である。
インクルーシブ教育やらなんやらと昨今の言われているが、昨今は「発達障害だから・・・」とか「パーソナリティ障害だから・・・」とか、ちょっと周りから浮くだけで区別(時には差別)されてしまう世の中。学校でのイジメの根絶は果てしなく遠く、子どもたちは皆、クラスの輪や立ち位置から溢れないように必死にすがっている。
それによって集団から浮いたり溢れたりした弱い立場の子たちが、自分らしく生きることが出来るように様々な学びや活動の場が提供出来きる仕組みにはなって来たが、その居場所を見つけることができるのはほんのひと握りに過ぎない。だから不登校も増え続けてるのかな?なんて思う。昔も区別されたり、集団の中で弱い立場になった子どもはいたし、不登校の子もいた。何十年も引き篭もりの人がまだ全国に何万人もいるなんて聞く。既存の学校という仕組み自体が限界に来てることは間違いない現実と思う。
人は千人千色、完全に安心できる環境を整え続ける事なんて不可能。どんな人でも、少なからず、暑くても寒くても、辛くて涙が出て、悔しくて怒っても、生きにくくても生きていく。
施設やグループホームで暮らす利用者さんの生活も「生きにくい世の中」の構図と同じである。だから、ひとりの支援者として、利用者さん一人ひとりの負担と我慢がピークにならないように、居場所を提供できるように、普段からの日々の支援が大切なのだと、しみじみ感じた夏の終わりの少し涼しい朝である。