暑さ寒さも彼岸まで、と言うのは昔の言葉だと思っていたが、今年は彼岸が過ぎると季節が変わった。愛の森学園で過ごすみなさんも長袖に腕を通し冬掛け布団に入れ替えて、めぐる季節の不思議を感じる。
利用者さんと柿の話をしながら思う、桃栗3年柿8年。桃の季節が過ぎ栗は毬を纏って実を見せながら、柿は枝を垂らしている。物事には時間が必要だ。めぐる季節を繰り返すことで、少しずつ形になる…というのは、世の中のたくさんの事に言える話。
ちなみに、愛の森学園の園庭の柿の木は、実がよく生る。毎年利用者さんと一緒に、時にサルに先を越されつつ、甘く熟した柿を頂くのも秋の楽しみ。また愛の森学園の園庭には、栗の木もある。しかし植えられてこの方、実が生ったことはないそうだ。
何かを学ぼうとして、何かを知ろうとして、何かを得ようとして、一朝一夕で適えられることはない。だから、世界が劇的に変わることはない。支援者の目線で、これはいつでも思わずにいられない。利用者さんの姿は日々変化し、何が必要で何を求められているか、常に模索している。昨日の正解が今日の正解とは限らない、どこまでも続く道だ。
しかし、しばしば世間を賑わす出来事が起こる。何かが起こると社会は変化する。季節のめぐり、時の流れのなかでは少々乱暴なやり方にも思えるが、しかしこうした時にしか社会は変わる事が出来ないらしい。これが歴史となる。そう思えば、世界はマイノリティが作っているのでは、という思考に至った。声を上げにくいはずのマイノリティは、時にマジョリティには到底適わない程のエネルギーを持つ。善悪はともかくとして、社会に変化を期待するのはむしろマイノリティなのだろうと思う。歴史を作ってきた英雄豪傑たちも、マイノリティからのスタートだ。
利用者さんたちの声は世間に届きにくく、その声を聴くのが我々の仕事である。聴くと訴える声は、「美味しいものが食べたい」「遊びに行きたい」等とても身近なものだ。しかしそんな身近なことさえ、簡単に適えられそうに見えて実はたくさんの確認や調整が必要になっているのが、現状である。何かが起きるとそれに対処する為の手順が増える。これは行政でも、愛の森学園での支援でも同じことのようだ。もっと簡潔に、利用者さん本人の思いを適えられるようになっていかなくては、と思いを改める。
10月は愛の森学園の一大イベント、森のカーニバルが待っている。まさに今、その準備が進められる中で、日々の生活が送られている。騒がしく過ごす日々の中では忘れがちであるが、「小さなこと程丁寧に」という思いを常に心に留め置いて毎日を過ごしていきたい。
愛の森学園 職員・O