世の中を見渡せば、二重構造はそこらかしこに見受けられる。障害者福祉に関しても、「意思決定支援」と「成年後見制度」の両者の意義、定義は、相反すると考えている。利用者本位の自己選択、自己決定を主張する「意思決定支援」と、利用者本位の自己選択、自己決定に課題があるので、下支えする「成年後見制度」は相矛盾すると誰でも理解できる。しかしながら、両者が共に推進される時代性の中では、タブルスタンダードが障害者福祉関係者、また当事者の宿命かも知れない。「どうすればよいの?」と聞かれたら、「ケース・バイ・ケース」と回答するのが一番率直にて謙虚であると私は考えている。両者を全否定、全肯定しない術である。例えば、世代交代を考えると「年齢を重ねつつ、培った英知を社会に還元する」と考えれば、いろいろな役回りは終身保証制ということになる。片や「新しい感性、発想で新時代を開拓する」と考えれば、世代交代は必然である。例えば政界を勘案すれば、比較的若手のリーダーを誕生させる政党と長期、固定のリーダーが、腰を据え続けている政党が存在する。前者は、「若手登用」に希望はあるのだが、未熟さのためか「内部対立」「分裂」を繰り返す。後者は「権力」+「権威」の構造となり、「もの言えば唇さみし春の風」に陥る独裁化が見えて来る。安倍総理は、一強多弱の唯我独尊状態下で、「東京オリンピックは自らの総理在任中にやりたい」と3期目を目指す。これも慣例の2期交替制度を自ら改革(?)した心意気への賛否両論付きまとう。
さて小さな世界になるが、「愛の森は世代交代の道筋はどうするのか?」ということになるのだが、まずは次世代を担う人材の存在が不可欠である。次に本人に「施設長の職責をまっとうする」意思表示が前提となる。「やる気のない職員がやるべき職責ではない」と私は考えている。しかしながら、有能なマネジメントには到底及ばない私の全踏襲を望んではいない。世代交代するリーダーに望むことは、利用者本位の自己選択、自己決定の最大限の尊重であり、配下となる職員に対してはメリハリのある時間管理、労務管理の実行ということである。
知的障害者福祉は、奥深い光と闇が交錯する世界である。「光を見出し、闇を照らす」適性が不可欠なのである。上記に記した「二重構造」は寛容としつつも、自らの内心に潜む「二重構造」を自己変革出来る人材が世代交代の必要条件ということかも知れない。うわべだけでつくろう人間、過去の権威にすがる人間、利用者への偏見が内在する人間・・・この輩には禅譲しない心構えである。そんな希望と苦言を抱きつつ、次期愛の森を背負う人材に宿題を課すことにした。そのひとつとして、長く続けて来た愛の森のコラムを後身に分割してプレゼンテーションしてもらうことにした。是非、5月からのコラムを楽しみにしていただきたい。また、読んでいただいた方に「評価」をしていただきたいと思っている。特に負の「二重構造」を感じたら、メスを入れていただきたいと希望する。また良き内容についてはご賞賛をいただきたい。障害者入所施設は、良きにつけ悪しきにつけ、十年一日のごとく、日々が過ぎ去る構造にあった。その構造への改革が世代交代である。読んでいただく皆様のご支援を期待しつつ、新年度スタートへの希望である。