薫風の季節に「タブー」を考える。角川必携国語辞典によれば、「ある共同体の中で、したり言ったりしてはいけないとされていること。禁忌。また一般に禁句」とある。世の中様々多種多様、千差万別を是としつつ、選択、決定の幅が広がれば広がるほど「言いづらい事」も増殖気味に存在する。
方や思想信条の自由、表現の自由は日本国憲法によって保証されている。・・・とはいえ、共同体の中では「和をもって尊しとなす」は原理原則である。人類共存への英知は「エチケット」「マナー」「ルール」を守るということになろうか?フランスの風刺画家がイスラムのムハンマドを挑発した作画が原因で報復を受けた事件は記憶に新しいが、果たして「表現の自由」は「他宗教の冒涜」まで認められることなのだろうか?いやいや「表現の自由」に「タブー」は存在しないのだろうか?
我が日本にも「タブー」、または「タブー化」しつつある事柄が存在するように思う。戦後70年にあたり、今上天皇はパラオに慰霊の旅をされた。あまたの人間たちが赤紙一枚で戦地に向かい、命を落とした。天皇の鎮魂の思いに深い尊崇の念を覚える。しかしながら、皇室と戦争の歴史を学ぶことはない。北朝鮮問題も今や多事争論とはいかない。沖縄の米軍基地、憲法9条、原発、遺伝子操作の問題等もなぜかトーンダウン気味である。日本国憲法に認められた「思想信条」「表現」の自由の行使こそが大切ということは皆が共有しているはずなのだが、行動に移せない「タブー」とは何なのだろうか?
障害福祉の世界は、ある意味では「タブー」の増殖にデリケイトな課題が山のように存在する。今や「めくら判」「片手落ち」「つんぼ桟敷」等の微妙な解釈が成立する表現はご法度となった。「バカ」「あほ」「ボケ」「与太郎」も「人権侵害」であり、ご法度である。古典落語に登場する憎めない春爛漫のキャラは障害福祉の世界では手厳しく断罪されかねない事態、いや時代となったということである。タブーとなったことは世界標準であり、基本的人権の尊重という憲法11条の偉大さを実感する。障害者権利条約の時代が喫緊に迫り、「タブー」の増殖は今後も拡大すると予測される。
神奈川県知的障害団体連合会作成の「あおぞらプラン」のあおぞら宣言第1条は、「障害者としてではなく一人の人間としてみてほしい」と宣言している。お説の通りであり、非のうちどころのない宣言文であるが、世間はあまり乗り気ではないように感じるのはいつもの私の僻みだろうか?
確かに「バカ」「あほ」「ボケ」「与太郎」の時代からは確実に卒業した。直接的な差別対応は格段に減少したと思われる。〇〇さんと当事者に話しかける福祉従事者が一般化した。○○様と呼んで下さる福祉施設も多くなって来た。しかし、新たな「タブー」が増殖し始めているのではないだろうか?無味乾燥な「形式(マニュアル)」という「タブー」跋扈への杞憂である。福祉の現場は個性と個性のぶつかり合いである。日々の利用者の皆さんとの喜怒哀楽の中で培われた真剣さが「人権擁護」につながるということである。濁ってはならない。「じんけん」侵害の濁点をとると「しんけん」さが浮き出て来るのである。