少し前の話になるが、台風21号上陸当日の総選挙は低投票率の影響か、はたまた野党乱立の中での漁夫の利か、自民党大勝で終わった。
サプライズは前原前民進党党首の希望の党への合流であったが、テレビの映像を見る限り、特に当時の民進党の総会では混乱なく承認された経緯に驚かされた。小池希望の党党首(当時)とは相入れない思想信条の民進党在籍の多くの代議士が「選挙の為」「当選の為」とその人気にあやかろうとしたのか、はたまたその他の事由なのかは不明であるが、結果は多くの政治家たちから職を奪う結果となった。
考えてみると国会議員の選挙は、「思想信条」を選択する選挙であり、国民に「幸福感」をもたらす絶好の機会でありながら、その根幹の乖離が露呈したということである。
日本の進路を決定する国権の最高機関を担う人間たちには、「保守」「中間」「リベラル」等の思想信条があってしかるべきなのに、風任せの風見鶏ぶりが敗北を招いたということである。小池氏の「排除」の言葉が、その会話の流れから切り取られ、独り歩きしてバッシングされたが、言い方の節度はあろうと思いつつ、本筋は理に適っている。
「安保法制反対」と拳をあげていた皆さんがタカ派の党首に合流する方が、よっぽど不可思議な事なのである。「選挙目当て」「当選目当て」と揶揄されても致し方ない。その結果として「希望」は「失望」へ成り下がり、結果として落選した議員さん、その議員さんにすがった選挙民の皆さんの「幸福感」は、雲散霧消してしまったということになる。
如何に「思想信条」をないがしろにするとしっぺ返しを食らうということになるのだが、果たして視点をスライドさせて障害者福祉の「思想信条」「幸福感」について考えてみたい。 まずは障害者福祉の時代性であるが、ここ数年の流れを抜粋すれば、以下のキーワードに集約される。
「人権擁護」「成年後見制度」「地域移行」「脱施設」「グループホーム」「利用者本位の自己選択、自己決定」「当事者の意思形成、表出をはかった上での意思決定権」「合理的配慮」「ケアマネジメント」・・・ と乱暴にまとめさせていただく。
ここに各法人、各個人の「思想信条」が垣間見られる。大方の組織(法人)は安定経営を前提にして、その使命として利用者の皆さんの幸福を追求しているわけであるが、記載のキーワードに対する戦略、戦術は、「推進派」「中間派」「慎重派」の3パターンの様相にある。愛の森は、多分「慎重派」の領域ということになる。
私の思いとして、知的障害という重く高いハードルへの距離感を禁じ得ない。バートランド・ラッセルの幸福論の中に、幸福は待っているだけではなく、獲得するものだと説いた後で「しかし、あきらめも、また幸福の獲得において果たすべき役割がある」という箇所である。知的障害として人生をまっとうするためには、社会資本の充実を整えさせつつも、市場原理の競争社会の中で、彼らを無理難題なノーマライゼーションの括りに追い込むことは、逆に本人たちの「幸福感」を奪うのではないかと危惧するのである。
「あきらめ」という言葉が差別意識として独り歩きしないことを願いつつ、愛の森は「棒にあらたぬよう」新年戌年に向かう。関係者皆で一緒に歩みながら・・・