昨今「窮鼠」と思われた北朝鮮が「大鼠」への野望を繰り返す暴挙には、各国の反応同様、私の俄か認識でも言語道断と考える。特にその矛先となっているトランプ大統領率いる「百獣の王ライオン」アメリカの敏感な反応に戦争への危機感を禁じ得ない。 要は「沈静化」を願いつつ「抜本的対策」はなきに等しい。北朝鮮の度重なる核実験、ミサイルの発射とその進化は、危険極まりない領域に達してしまったということである。国家崩壊の危機が生み出したあだ花がキム王朝の独裁継承であり、その手段が「先軍政治」、つまり国民の「幸せ」や「平和」など関知せず、最優先が「軍事力」「チュチェ思想(主体思想)」の強化であり、不満分子を粛清し続ける国家統制と推察する。
我が解釈の背景には朝鮮併合という日本統治の負の遺産がつきまとう。また、その後に朝鮮戦争の経緯として38度線で対峙する休戦状態が続いているという現実がある。
あえて、北朝鮮側から想定すれば、「ガダフィ」や「フセイン」」にならないためのサバイバルであろう。米韓合同軍事演習を繰り返す憎っくき敵国が核を保有する超大国アメリカである以上、対決するには、同様にICBMを製造し、核保有国の仲間入りをする事こそが生き残り策と盲信しているということになる。一般国民の窮乏や反逆は、圧迫と粛清で対処する。アメリカの核の傘の下にある日本も同様の敵であり、朝鮮併合の遺恨は「チュチェ思想」に染まった大多数の国民に憎悪を共有させ、運命共同体へと結びつける要因(主体)となる。つまり、民主主義を全否定するためには、カリスマ将軍様の下での傍若無人の強権的政治こそが北朝鮮に残された最終手段ということになろう。多分、障害当事者や障害を持って生まれた人間たちは抹殺、または閉塞された空間の中でもがき苦しんでいるものと想像される。
朝鮮戦争が休戦協定となった頃に義務教育を迎え、高等教育で育って来た私にとっては、アメリカが作ったと揶揄されども崇高な日本国憲法の三大理念「基本的人権の尊重」「国民主権」「平和主義」は死守しなければならないと考える。但し、「窮鼠がライオンを噛む」事態になろうとしている現実を突きつけられると、アメリカの「飼い犬」からの日本の「独り立ち」を求める論陣が幅を利かせる状況に杞憂する。つまり、憲法の「平和主義」をも改悪して、わが日本の「国家存続」「国体保持」のために「闘犬」へと変身させる策略である。「国家防衛」のための「憲法改正」の下で、軍事力増強、核兵器保持、対ミサイル防衛網整備等の準備と実行が画策されるのでは・・・と杞憂する。
「北朝鮮が暴発したら」「アメリカが先制攻撃をしたら」日本にミサイルが飛んで来るかも知れない。各種防衛システム(PAC3、イージス艦等)の網の目を掻い潜って、テポドン、ノドンが狙うのは、在日の米軍基地であり、自衛隊基地であり、大都市圏の中枢であり、原子力発電所かも知れない。〇月×日の△時□分、Jアラートが鳴り響いき、5分後に大爆音と天空に火の玉が現れる。電磁パルス攻撃が日本を壊滅に導く瞬間の蛮行である。想像力は恐怖感を醸し出す。
子供の頃、ある先生から聞いた「みんな戦争はしたくはないと思っています。でも、なくならないのです」が蘇る。始まってしまったら、多く命が失われる。シリア難民や追われるロヒンギャの人たちの映し出される悲痛な表情が重く重く脳裏に浮かぶ。そんな危機的事態の中で、平和の祭典が韓国ピョンチャンで開かれる。人類の英知が試される近未来である。