新年度を迎え、愛の森は世代交代の船出を迎える。加齢体になりつつある我が身はもう少し踏ん張らせていただくことになるのだが、愛の森の大黒柱であったO氏が卒業した中での不透明なスタートを切るということである。
愛の森創設時から数年がたった頃、当時の若者だった利用者の皆さん(今や平均年齢45歳程)と縁結びをしたのがO氏であった。私はその後のご縁でお付き合い、いやお役目を共にさせていただいたのだが、まさに愛の森の「芯」のような存在で、愛の森の直接的運営を支えてくれた大黒柱であった。
そんなO氏がある研修会で「仕事は80%しか満足していない。120%満足させるのが我が生き方、休日のボランテイア活動はそのため・・・」と我が解釈の持論を展開してくれたが、日々の利用者支援、その他諸々の業務に満足することのない飽くなき福祉道追求に脱帽した。昔気質の福祉職員の原点を見た思いがする。そんなワークライフバランスとは反比例する仕事観が大黒柱たる象徴ということかも知れない。
極端な事例かも知れないが「電通」の労働者搾取の話題に従えば、大黒柱の存在自体が今や風前の灯になりつつあるのかも知れない。労働基準法遵守こそが昨今のトレンドである。しかしながら、障害者福祉の現場は多分昔気質の人間が生き残り続けるであろうと私は想像する。それは法律や制度の高い目標値と日々実践する現場職員の労働環境疲弊のミスマッチが解消困難ゆえである。このミスマッチを縫合するのが、管理職、または名ばかり管理職の滅私奉公的使命感の責務と人情ということになる。廉価な管理職手当の中で重い責任と長い拘束時間こそが崇高なプライドに繋がるという偏屈な労働観でもあるのだが・・・。
愛の森に照らしても利用者の加齢化、身元引受人の高齢化に対する職員の量と質の衰退、枯渇というアンバランスは深刻さを増している。加えて、昨今国が進める「働き方改革」の目標値(例えば時短)が、障害者福祉労働の現場の実態とは大きくかけ離れているということである。要は慢性支援者欠員状態の組織体制の労働環境下で、利用者への「満足度を上げよ」「地域移行せよ」「生活の質を上げよ」と囁くお役人の皆様のお達しには、自ずと矛盾が生じてしまうということになる。「体罰」「虐待」「放置」に陥らないためにも、サービス「需要枠」と「受容枠」の制御が必要ということになる。あえて言えば財源的に可能な「許容枠」が必要なのである。そんな不具合状況が生んだ救世主が、O氏のような大黒柱の存在ということになろう。
コンプライアンス(法令遵守)のご時世では、旧態依然たる体質こそが大黒柱の存在と思いつつ、タテマエ「ワークライフバランス」堅持、ホンネ「パブリック・サーバント(税金で食べる召使い)」残存という人情を捨てきれないのが福祉労働観かも知れない。新年度も引き続き「ホンネ」と「タテマエ」のコラボレーションが始まる。時に大きな難題が発生したら・・・そんな時に備えて、O氏の後継となる新たな「芯」探しを始める春の霞のような不透明な心境にある我が心構えの吐露である。