障害者権利条約の批准が目の前に迫っている。条約とは憲法に次ぐ、国家としての責任が問われる決まりである。実に喜ばしいことと思いつつ、我がささやかな経験値は心配な気配の点滅を始める。なぜか・・・と言えば、階層社会が幅を利かす旧態依然たる国々が批准しているという実に不可解な条約ということである。詳細はホームページをご覧いただきたいと思うが・・・。
そもそもタテマエの権利条約に落ち着くとすれば実に残念である。我がニッポンにおいては、魂が入る条約、市民権として守られる条約、もっと言えばお金を投入する条約であって欲しいと願う。
しかしながら、少子高齢化にして国債に頼るニッポンの現実、またその打開策の成長戦略の中に権利条約の批准による経済効果を見出す事は難しい。如何せん経済効果という金儲けに加担すべき分野ではないということである。工賃倍増作戦等の障害者へ市場の原理を押し付けることへの不快感とともに、そうした階層社会に取り残された弱者の代表が多数の障害者であり、特に知的障害者であるということを忘れてはならない。筋論としては、民主主義を標榜する国家であれば、相応のお金が投入されるべき分野であり、ノーマライゼーションの生活形態が、「私たち抜きで私たちの事を決めないで」という当事者自身の権利宣言に基づいて達成されるべきなのである。ここに「しかしながら」が再登場する。
しかしながら、需要と供給のバランスを考えると心配な気配は漂い続ける。福祉サービスの担い手が不足しているという現実である。理由は様々あろうが、根本原因は処遇が悪いということであり、使命感に頼る労務管理にあぐらをかいている体質である。但し、そうした使命感に基づく日常があまたの障害者を下支えしている状態は6現在進行形である。ゆえに、権利条約が批准したとしても、経済的恩恵の庇護がなければ、福祉現場は少子高齢化の長命化社会の中で、画期的構造改革でもしない限り、量的、質的レベルダウンは避けられない。画期的構造改革とは何か?
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消費税の大幅アップによるベイシック・インカムの導入である。原資をつくり、国民全員に最低保障年金を支給する。老後の不安をなくす施策である。
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IT、ロボットによる業務分散化である。大量支援者熱血支援サービスから、少量支援者機能的サービスへの変身である。ハイテクの機能強化は支援者から技術者へのスイッチの切り替えである。
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多国籍福祉サービス労働者の積極的導入である。介護福祉士等の試験のハードルを更に低くし、海外のハングリーにして有能な福祉従事者に門戸を開くことである。言葉の壁は、IT技術が解決してくれる。
「待ってよ。待ってよ」と我が心の中にささやかに存在する良心がささやく。
「そんな近未来こそ心配な気配だよ」と。我が理性は少し元気を取戻し、「理」を加えようと提案する。「心配+理」「気配+理」である。
如月の朝は寒さが沁みる。夢の世界が教えてくれた「心配り」「気配り」の大切さである。