修羅場に奔走する現場の人間たちの労苦を想像しつつの私の思いです。空前絶後の津久井やまゆり園の惨劇の中で命を落とした利用者の皆さんに慎んで哀悼の意を表したいと思います。また、怪我をされ、入院している利用者の皆さんの一日も早い恢復をお祈りしたいと思います。奮闘する、かながわ共同会の職員の皆さんに心からエールを贈りたいと思います。
しかしながら、今回のような夜間帯のテロリスト的、また自意識過剰傍若無人的暴挙には、障害者支援施設は、対抗する術がありません。「施設の利用者の安全は・・・?」「社会福祉法人の使命は・・・?」と求められる責任を回避するつもりは毛頭ありませんが、「出来る事」は最大限やりますが、「出来ない事」もたくさんあるということです。
障害者権利条約に則れば、同じ特性の人間たちが長期に同じ空間で生活することは「人権侵害」であると解釈されます。まさに、障害者支援施設は、条約に反しながら、日々の生活を積み重ね続けているということです。これは「安定」なのか、「侵害」なのか、微妙な判断が求められる時代性です。
例えば、推奨されるグループホームで万が一惨劇が起これば、被害を受ける人間の数は確実に少なくなります。但しそもそもグループホームの目的は、利用者の自己選択、自己決定に基づく、「くらし」の充実です。しかしながら、障害者支援施設は解体しませんし、その役割は「安定」の名の下に存在し続けると思います。大きな要因は、グループホームの脆弱な構造にあります。入居するには、家賃、食費、共益費(電気代等)が有料です。少なからずの利用者の受益者負担の出所は、障害基礎年金と雀の涙程度の工賃収入であり、「安定」はしていませんし、少額です。また、建設するにしても、賃貸するにしても相応のコストがかかります。近隣の住民の皆さんとの折り合いも必要です。その上に世話人さん(ホーム利用者の支援者)がなかなか見つかりません。
話を障害者支援施設に戻します。セキュリティは「自助努力」と「警察との連携」と「地域との情報交換」ということでしょう。今回のような衝撃的事件は防げなくとも、地震や台風などの自然災害には役立つと思います。
昨今は「ポケモンGO」隆盛の時代性ですが、「アナログ」の日々が続いているのがが障害者福祉の世界です。ここは日本国憲法の崇高な理念である「基本的人権の尊重」に則り、障害当事者のかけがいのない日々を再度ご認識いただき、天界に召される19名の思いを忘れない、インクルーシブな社会創生を目指すしかないと思います。そんな思いで締めくくるにはあまりに大きな悲劇ですが、乗り越えて行きたいものです。