愛の森コラム
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2016年04月01日(金)

福祉労働は近未来のトレンド

3月のコラムに、「満身創痍」から「平身低頭」「全身全霊」とハイテンションのスローガンを書いてみたが、果たして福祉従事者の心は初心貫徹状態に復活しているだろうか? ひとりひとりの福祉従事者の責務の堅持を期待しつつ、「保育園落ちた。日本死ね」と炎上した保育には光が射しかけ始めたと思いつつ、障害者福祉は来たる参議院選挙のネタにも上らず、改めて「全身全霊」のやり直しというのが現実かも知れない。但し諦めてはいけない。下記の分析が正しければ、近い将来花形の仕事に生まれ変わる可能性が高いということである。過程から言えば、「IT」の目覚ましい進化によって「人工頭脳」が飛躍的に発達し、「ロボット」「3Dプリンター」等が日常生活の中に浸透すると想定される。それでは、どうして障害者福祉が近未来にトレンドに様変わりするかというと価値の基準が大幅に変化し、「カネ」の資本から「ヒト」の資本へと価値が転換するから、ということである。

 とある識者によれば、資本とは「カネを生み出すカネ」のことであると言う。しかし、「IT」の劇的発達は、ものづくり、野菜づくり、物流サービス等を担う労働者の仕事を奪うというのである。また「人工頭脳」の進化は、囲碁の達人に勝利したように、高学歴のエリート層の持つ能力をも凌駕し、そのイノベーションを奪ってしまうというのである。

 例えば、日用品製造工程の完全無人化が可能となり、農園芸にしても無人の野菜、果物、花生育工場が可能というのである。物流も「ロボット」「自動運転車」「ドローン」等がその役割を果たす。また創意工夫が人間の最後の砦と思いつつ、「育成型人工頭脳」にとってかわられるというのである。そう考えれば、「カネ」稼ぎは「人工頭脳」や「ロボット」等に委ね、「ヒト」への投資を大切にする社会構造になるという。それは、「ヒト」があくせく働かない社会であり、善意に捉えれば、互いが「分かち合う」社会の形成である。前者は「ベーシックインカム」の保障であり、後者は「ワークシェアリング」の推進である。

 そう遠くない将来、愛の森学園は、元「製造」「物流」「農園芸」「IT」等に従事していた人間たちが職を求めてたくさん集い、利用者支援その他の業務を生き生きと担う時代がやって来るのである。労働時間は一日6時間、週30時間である。支援者は相互にワークシェアする。賃金は、「人工頭脳」や「ロボット」によって稼いだ国家資本から、ベーシックインカムによって、現金給付が保障されるため、福祉労働は単に可処分所得のみ稼ぐということになる。余裕を勝ち得た福祉労働者により、平和な利用者の日々が保障されるのである。つまり、障害という社会的不利を授けられた利用者への支援その他の業務は「IT」の進化から取り残される要因が大きいため、逆に生き残る可能性が高いということである。

 そんな夢みたいな話があるのか・・・と疑うかも知れないが、テレビで紹介されたアメリカのタクシー会社の倒産は、「スマホ」普及によるマイカータクシー(白タク)の新ビジネス台頭が原因という。時の流れはまさに不透明ということになる。

 北朝鮮やISの暴挙、トランプ氏の不吉な台頭等、時代はまさに不透明ということになる。但し戦争をしないこと。加えて大きな自然災害に備えることを肝に命じつつ、障害者福祉の仕事が近い将来の花形になることを期待し、新年度幕開けの希望の御紹介である。

2016/04/01 09:00 | 施設長のコラム

2016年03月01日(火)

「〇身〇〇」の2016年度へ

 2015年度も終焉である。暖冬の恵みか、いたずらか、との判断に戸惑いつつ、桜の開花は早いかも知れない。華やぐ季節の始まりであり、木々の新芽や花々の芽吹きに心躍る弥生3月である。  そんな季節は、桜散る儚さもついてまわる。職場の去る人、進学が思うように行かなかった人、愛する人をバス事故で失ったご家族の皆さん、あまたの戦火の中で命を失った人間たち、また逃げ惑う人間たちにとっては、憂鬱の春、痛恨の春ということになる。  そんな季節のゆがみの中で、障害者福祉にはどんな展開が待っているだろうか?視点をマクロ的にリサーチすれば、以下の懸案が背後に横たわる。

・来たる参議院選挙で、与党圧勝予測は憲法改正に突っ走る起点になるのか?
・高齢者への3万円バラマキ、消費税10%と定減税率。格差社会は緩和するのか?
・石油価格下落、株価安、円高の経済動向の中で、抱える借金はどうなるのか?
・東京オリンピックと東日本大震災復興の公共事業は、景気浮揚のエンジンの役割を果たすのか?
・北朝鮮の暴走、中東戦火の余波であるISや難民問題が日本の社会秩序に影響を与えて来るのか?
・アベノミクス第2の矢の2つである「介護離職ゼロ」「出生1.8人達成」に光明が出て来るのか?
・規制緩和の落とし穴である市場原理の過酷さに、例えば大きなバス事故を起こさせないための仕組みを整備することが出来るのか?
その他諸々の課題、問題、難題の中での「障害者福祉対策」は矮小化され、巧妙なる策略の餌食になってしまう危険性が大かも知れない。ここで、「〇身〇〇」の四文字熟語でまとめる。その前に知的障害者福祉は、下記の課題、問題、難題が露呈すると想定する。
・理念重視の課題、問題提起との現場の齟齬である。その最たるものが障害者権利条約の拡大解釈であり、当事者の立ち位置と福祉現場の疲弊の誤差は深刻さを増すだろう。
・次に予算確保の限界と規制緩和の拡大である。一部の社会福祉法人の伏魔殿体たらくが、その他多くの社会福祉法人に長年受け継がれて来た「恕(思いやり)」の使命感の 転換と消耗を余儀なくさせる現実である。現実とは不誠実な市場原理の導入である。
・加えて労働者の権利意識と職業選択の拡大で、福祉労働に携わる若き「恕」の心を有する若者たちの枯渇である。低賃金と重労働が拍車をかける。

 つまり、障害者福祉は、ミクロ的視点から見れば、満身創痍状態になりつつあるということになる。贔屓目に見ても崩壊への浸食は始まっていると考える。その抑止には利用者への謙虚な姿勢と日々の利用者支援、組織防衛にまい進する実行力のみということになろう。それは、平身低頭にして全身全霊の使命感である。 新年度は更なる荒波(社会福祉法人改革等)が立ちはだかる。「恕」の心を維持しつつ、課題、問題、難題に立ち向かう。平身低頭の心得を維持しつつ、全身全霊の挑戦が始まる。

2016/03/01 09:00 | 施設長のコラム

2016年02月01日(月)

さるすべり 君を想いて 僕は猿

 神学論争とは「結論の出にくい議論」のことであり、同義語に「水掛け論」「堂々めぐり」の表現がある。これはネットで学んだ俄が知識である。如月の寒い朝にとある公園の「さるすべり」の老木を見ながら、一句。そして「結論の出来にくい話」を考える。 「さるすべり 君を想いて 僕は去る」(君とは当事者である)
 昨今の知的障害者福祉は寒風の中で、自らが乾布摩擦で放熱するよう仕向けられた時代性かも知れない。その寒風とは・・・?「結論が出にくい話」の始まりである。

 「知的障害者の意思決定支援の在り方に関する検討委員会の意見」(公益財団法人日本知的障害者福祉協会・平成27年9月8日)によれば、知的障害当事者の「意思決定」について以下の考えに至ったとの事である。

 意思決定支援とは、障害者本人の意思が形成されるために、理解できる形での情報提供と経験や体験の機会の提供による「意思形成支援」、及び言葉のみならず様々な形で表出される意思を汲み取る「意思表出支援」を前提に、生活のあらゆる場面で本人の意思が最大限に反映された選択を支援することにより、保護の客体から権利の主体へと生き方の転換を図るための支援である。

 筋論としてはごもっともと思いつつ、様々な疑問、難問、鬼門が頭の中を駆け抜ける、 要は「無理でしょ!」ということである。勿論温度差の問題性であり、支援する姿勢の提起と想像しつつも、現実味をまったく感じない「結論の出来にくい話」である。ここで変句する。「さるすべり 君を想いて 僕は猿」。ここは猿知恵をお借りするしかない。

 空想の世界から奇特な老猿が我が頭の中に出現する。「見ざる」「聞かざる」「言わざる」ではない「言いたい放題して猿」である。一句読んでいただく。  「ささる棘 抜きようやく(要約?) 痛み去る」

 「結論の出にくい話」を私なりに要約すれば、知的障害者に寄り添う見せかけの問題提起はご法度ということであり、「保護の客体」から「権利の主体」と検討委員会の面々はのたまうが、障がいという神からの定めを受け入れざるを得ない人生は「保護が主体」であるべきであり、「権利」は日本国憲法に準じれば良いのである。いやいや知的障害者の皆さんにとっての現実はそんな生易しい世の中ではないとのご主張も相応の説得力があるとは考える。しかし、少子高齢化で借金を重ねる国家財政の中では身の丈は必然なのである。日々悪戦苦闘している現場の福祉労働者に「結論の出にくい話」の迷路に迷い込ませる空理空論は「喝」である。

2016/02/01 11:23 | 施設長のコラム

2016年01月01日(金)

信念明けましておめでとうございます。

信念明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願い致します。          

 平成28年元旦

                社会福祉法人愛の森

                職員一同、利用者一同

 

申年は、「見ざる」「聞かざる」「言わざる」にならぬよう、誠心誠意前に進みたいと思います。「猿」を「えん」と読み、思いを認めます。

 

支援とは 遠路の先の   円熟なり

演技から 深淵探しの   遠心力

楽園は  ご縁に始まる  延長線

遠慮せず 遅延改善    円滑に

厭世に  ならぬは気炎は 敷衍なり

 

良いご縁に恵まれますように・・・

2016/01/01 09:00 | 施設長のコラム

2015年12月01日(火)

年の瀬に思う

 本年も最終月となり、幸多い年の瀬としたいところだが、パリのテロの惨禍を映像で繰り返し繰り返し見ていると、渡る世間には鬼門が待っていると言い知れぬ不安感が苛まれる。殉教の自爆テロへの防備は、先制攻撃をして敵を殲滅させるか、逆に強固な要塞をつくって敵の侵入を完全に断つか・・・ということになろう。多分両方不可能ということになる。本人が自爆することが正義とマインドコントロールされている以上、こちら側の筋論は無意味である。背景にある民族間の宗教観、貧困の起因である経済格差、インターネットの拡大、石油の利権、十字軍の怨念、過激思想の流布等を抑制させない限り、カオス(混沌)状態は深刻さを増すばかりと想像する。

 知的障害者の世界にもそんな構図があるように思う。利用者本人が理解できない類の自己選択、自己決定を利用者本位に委ねている現状である(例えば、選挙権やマイナンバー等)。「理解できない」は「利用者本位」とは真逆である。「解らない事を決めて下さい」は土台矛盾である。これは意地悪な見方をすれば、お役人や御用学者の皆さんが仕掛けたある種のテロ行為であろう。社会福祉事業者、そこで働く労働者に使命感という美名を与え、「責任」「リスク」を負わせたということである。ゆえに現場は、福祉制度の様々な改変の中で、カオス状態に陥り、一部身元引受人の外部告発と一部労働者の内部告発というテロ行為の恐怖に怯えるという日常になりつつある。いつもいつも他者の目を気にしながら業務にあたる福祉事業者、そこで働く労働者の姿である。要は「理解できない」利用者本位の自己選択、自己決定の背景には、巧妙なからくり(公的責任回避?)が秘められていると不徳の私は解釈している。

 そんな被害妄想的な私を含め職員一同にとあるネットワーク会議からチェックリストが届いた。インパクトのある質問項目は下記である。
・利用者に対して、殴る、ける、その他けがをさせるような行為をおこなったことがあ る。
・利用者に対して、身体拘束や長時間正座・直立等の肉体的苦痛を与えたことがある。
・利用者に対して、わいせつな発言や行為をしたことがある。等々。
「よくある」「時々ある」「ない」の三択で答えよとの事。時々新聞紙上で福祉施設の体たらくが報道されている現実からすれば、作成した方々は善意からのリストづくりだったと想定する。しかし、現場の辛酸を、身を持って体験し、緩和と融和の道を模索しているさ中の私にとってはまさにテロ攻撃を受けた心境にある。「これはないでしょう」というのがホンネである。被害妄想の上乗せかも知れないが、「現場に来て、現実を見て下さい」「現場をもっと信じて下さい」「不祥事が起こる背景にメスを入れて下さい」「福祉予算を上げ、職員の処遇改善に努めて下さい」という思いである。

 未年は「去る」。来たる申年は、「見ざる」「聞かざる」「言わざる」ではなく、社会福祉従事者一同が「見て」「聞いて」毅然と「言う」志をもって様々な不誠実なテロ行為に抗して欲しいと願う。そんな年の瀬の思いである。

2015/12/01 09:00 | 施設長のコラム

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