愛の森コラム
2015年12月01日(火)

年の瀬に思う

 本年も最終月となり、幸多い年の瀬としたいところだが、パリのテロの惨禍を映像で繰り返し繰り返し見ていると、渡る世間には鬼門が待っていると言い知れぬ不安感が苛まれる。殉教の自爆テロへの防備は、先制攻撃をして敵を殲滅させるか、逆に強固な要塞をつくって敵の侵入を完全に断つか・・・ということになろう。多分両方不可能ということになる。本人が自爆することが正義とマインドコントロールされている以上、こちら側の筋論は無意味である。背景にある民族間の宗教観、貧困の起因である経済格差、インターネットの拡大、石油の利権、十字軍の怨念、過激思想の流布等を抑制させない限り、カオス(混沌)状態は深刻さを増すばかりと想像する。

 知的障害者の世界にもそんな構図があるように思う。利用者本人が理解できない類の自己選択、自己決定を利用者本位に委ねている現状である(例えば、選挙権やマイナンバー等)。「理解できない」は「利用者本位」とは真逆である。「解らない事を決めて下さい」は土台矛盾である。これは意地悪な見方をすれば、お役人や御用学者の皆さんが仕掛けたある種のテロ行為であろう。社会福祉事業者、そこで働く労働者に使命感という美名を与え、「責任」「リスク」を負わせたということである。ゆえに現場は、福祉制度の様々な改変の中で、カオス状態に陥り、一部身元引受人の外部告発と一部労働者の内部告発というテロ行為の恐怖に怯えるという日常になりつつある。いつもいつも他者の目を気にしながら業務にあたる福祉事業者、そこで働く労働者の姿である。要は「理解できない」利用者本位の自己選択、自己決定の背景には、巧妙なからくり(公的責任回避?)が秘められていると不徳の私は解釈している。

 そんな被害妄想的な私を含め職員一同にとあるネットワーク会議からチェックリストが届いた。インパクトのある質問項目は下記である。
・利用者に対して、殴る、ける、その他けがをさせるような行為をおこなったことがあ る。
・利用者に対して、身体拘束や長時間正座・直立等の肉体的苦痛を与えたことがある。
・利用者に対して、わいせつな発言や行為をしたことがある。等々。
「よくある」「時々ある」「ない」の三択で答えよとの事。時々新聞紙上で福祉施設の体たらくが報道されている現実からすれば、作成した方々は善意からのリストづくりだったと想定する。しかし、現場の辛酸を、身を持って体験し、緩和と融和の道を模索しているさ中の私にとってはまさにテロ攻撃を受けた心境にある。「これはないでしょう」というのがホンネである。被害妄想の上乗せかも知れないが、「現場に来て、現実を見て下さい」「現場をもっと信じて下さい」「不祥事が起こる背景にメスを入れて下さい」「福祉予算を上げ、職員の処遇改善に努めて下さい」という思いである。

 未年は「去る」。来たる申年は、「見ざる」「聞かざる」「言わざる」ではなく、社会福祉従事者一同が「見て」「聞いて」毅然と「言う」志をもって様々な不誠実なテロ行為に抗して欲しいと願う。そんな年の瀬の思いである。

2015/12/01 09:00 | 施設長のコラム