愛の森コラム
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2014年03月01日(土)

岩見隆夫氏に学ぶ

 明快にして、的確に政治の現実を分析していただいた評論家の岩見隆夫氏が亡くなった。哀悼の意を表すとともに、氏の最後の論文が「中央公論」に掲載され、読ませていただいた。


 氏の分析によれば、政治家は「ヒステリー」、マスコミは「せっかち」、官僚は「冷笑」であるという。私的に解釈すれば、選挙が怖い政治家は、時代が求める政策と選挙民、あるいは支持母体の既得権との板挟みの中でヒステリーを起こし、マスコミは、視聴率、販売数アップのための特ダネをとるためにストーカーのごとく政治家の足をすくうネタさがしにせっかちになり、官僚はそんなポピュリズム(大衆迎合)に高見の見物を決め込み、冷笑し、自らの利権に奔走しているということであろうか?


 また氏は、日本人を「あきらめよく」「ふてぶてしい」と分析している。そう考えると、我が処世術も自立と利他の精神に傾倒するより、 他者、特に強者にひれ伏し、時代が強者を変化させれば、すぐに乗り換えるという生きざまの道のりであったと自戒する。我がささやかな人生の中で「あきらめ」と「傲慢」が同居した事は否定出来ない。


 氏は故大平正芳元総理大臣を評価した。若い皆さんには「誰?」ということになろうが、我が青春時代は「三角大福中」と言われた実力者 政治家(自民党の派閥の領袖)のひとりである。因みに、三木武夫氏、田中角栄氏、大平正芳氏、福田赳夫氏、中曽根康弘氏である。「日本列島改造論」の田中角栄氏は、名前から戴いたが、名字の頭文字四文字と合わせて時の権力者を表した。講釈はこのくらいにして、氏は、大平氏の「田園都市構想」にシンパシィを感じていたという。人口20万人程度の都市が日本全国に散在し、都市の周囲には、日本の原風景である田園が緑と水をたたえる街づくりであったという。しか し、評価の賛否は別にして、日本列島改造が日本の原風景を利便優先で破壊する。そんな氏の思いはいまや不可能となってしまった。しかし、教訓は残る。「せっかち」なマスコミが「ゆっくり」とヒステリーに陥りがちな政治家の治療をしていけるのか?「冷笑」を生き様とする官僚が「人間らしい笑顔」を取り戻せるか・・・?


 昨今の障害者福祉もヒステリーにして、せっかち気味ではないかと思う。「利用者本位の自己選択・自己決定」「地域移行」。「ノーマライゼーション」に「インクルージョン」。「セルフマネジメント」「合理的配慮」に「計画相談」などなど・・・。理念はそれぞれに正しいとは思いつつ、その仕組み成熟への基盤整備と財源投資を甚だ忘れている。迫る大震災への防災対策、枯渇する福祉労働者の人材確保策というハード、ソフトの基盤整備なしには、 理念は求めるべき目標から、冷めたスローガン、袖ケ浦的事件もどきの不埒な再発への予兆に奈落してしまうことを肝に命じるべきである。「そんな現実を誰かが冷笑している・・・」と思うと腹が立つが、新年度は有言実行、体たらく撲滅を誓いつつ、心意気は春爛漫、いや福祉爛漫を目指したいと思う弥生の始まりである。

2014/03/01 15:05 | 施設長のコラム

2014年02月01日(土)

心配な気配

 障害者権利条約の批准が目の前に迫っている。条約とは憲法に次ぐ、国家としての責任が問われる決まりである。実に喜ばしいことと思いつつ、我がささやかな経験値は心配な気配の点滅を始める。なぜか・・・と言えば、階層社会が幅を利かす旧態依然たる国々が批准しているという実に不可解な条約ということである。詳細はホームページをご覧いただきたいと思うが・・・。


 そもそもタテマエの権利条約に落ち着くとすれば実に残念である。我がニッポンにおいては、魂が入る条約、市民権として守られる条約、もっと言えばお金を投入する条約であって欲しいと願う。


 しかしながら、少子高齢化にして国債に頼るニッポンの現実、またその打開策の成長戦略の中に権利条約の批准による経済効果を見出す事は難しい。如何せん経済効果という金儲けに加担すべき分野ではないということである。工賃倍増作戦等の障害者へ市場の原理を押し付けることへの不快感とともに、そうした階層社会に取り残された弱者の代表が多数の障害者であり、特に知的障害者であるということを忘れてはならない。筋論としては、民主主義を標榜する国家であれば、相応のお金が投入されるべき分野であり、ノーマライゼーションの生活形態が、「私たち抜きで私たちの事を決めないで」という当事者自身の権利宣言に基づいて達成されるべきなのである。ここに「しかしながら」が再登場する。


 しかしながら、需要と供給のバランスを考えると心配な気配は漂い続ける。福祉サービスの担い手が不足しているという現実である。理由は様々あろうが、根本原因は処遇が悪いということであり、使命感に頼る労務管理にあぐらをかいている体質である。但し、そうした使命感に基づく日常があまたの障害者を下支えしている状態は6現在進行形である。ゆえに、権利条約が批准したとしても、経済的恩恵の庇護がなければ、福祉現場は少子高齢化の長命化社会の中で、画期的構造改革でもしない限り、量的、質的レベルダウンは避けられない。画期的構造改革とは何か?

 

  1. 消費税の大幅アップによるベイシック・インカムの導入である。原資をつくり、国民全員に最低保障年金を支給する。老後の不安をなくす施策である。
  2. IT、ロボットによる業務分散化である。大量支援者熱血支援サービスから、少量支援者機能的サービスへの変身である。ハイテクの機能強化は支援者から技術者へのスイッチの切り替えである。
  3. 多国籍福祉サービス労働者の積極的導入である。介護福祉士等の試験のハードルを更に低くし、海外のハングリーにして有能な福祉従事者に門戸を開くことである。言葉の壁は、IT技術が解決してくれる。

 

 「待ってよ。待ってよ」と我が心の中にささやかに存在する良心がささやく。
 「そんな近未来こそ心配な気配だよ」と。我が理性は少し元気を取戻し、「理」を加えようと提案する。「心配+理」「気配+理」である。


 如月の朝は寒さが沁みる。夢の世界が教えてくれた「心配り」「気配り」の大切さである。

2014/02/01 15:14 | 施設長のコラム

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