「お詫びと訂正」考
日曜の朝は平日と違い、毎週何となく同じテレビを見ながらゆっくり朝食を摂ります。先日、番組内であるコメンテーターさんが、自粛のきっかけとなったご自身の発言のお詫びとともに久しぶりに出演されていました。事案の詳細は承知しませんが、ご発言を拝聴しました。
話変わって、また別の日の大手日刊紙朝刊。大スクープの筈がなかなかの誤報でした。「議員さんが秘書給与を詐取した疑い」というスクープの筈が人違い(違う議員さん)だったという…。テレビ各社が「明日1面でお詫び掲載」と報じていたので、不謹慎ながら朝刊を待ちました。一般にお詫び記事は小さく掲載する例が多いような印象がありますので、1面にそれなりのスペースを割き、これもまた立派な(汗)お詫びだったかな、と。週末には検証記事も出ていましたが、素人ながら読み応えのある検証記事であり、我がことへの教訓も多く感じました。
人さまのことはさておき、自身の日常を振り返れば…。「会議や日常での発言」にせよ「業務の方針」にせよ、様々な場面で「間違った」「しまった」と思うことは結構あります。すべての場面でできているかは自信がありませんが、そう思ったときは、時間をおかず、謝る、訂正する、防止策を講じる、という基本を心がけたいと思っています。ただ、自らの感受性の低さ等からそもそも「しまった」と思っていない場合などもあると思うと、なかなか簡単ではありません。
謝ったり訂正することにより間違いが「上書き」されるわけではありませんが(特にお相手の気持ちを傷つけた場合など)、少なくとも何らかのアクションを起こさなければ始まらない、ということは、常に留意していたいと思います。そして、他者の事例も「教材」として真摯に…。
「反省大好き(汗)」ですが、なかなか精進できない「ふつつか者」の独り言まで。
[國分 隆之]
