愛の森コラム
2017年06月01日(木)

日本国憲法から問いかけられている「昨今」

日本国憲法99条には、「天皇又摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と書かれている。

憲法21条には、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」とある。

憲法学者の識見のご判断ということになろうが、昨今の安倍総理の「読売新聞を熟読願いたい」という、2020年の改憲施行への意気込みは、果たして99条違反なのか?はたまた21条の許容範囲なのか、実に不可解と思う昨今である。但し、安倍一強体制の下では、

99条は抑え込まれ気味になった感は否めない。

 

例えば、24条は「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」とある。

ここに矛盾がおこる。性的マイノリティのLGBTの皆さん同志の婚姻が憲法違反になってしまうということになる。渋谷区や世田谷区等では特例を設けているようだが、当事者の皆さんにとっては改憲が喫緊の課題となろう。どうも憲法9条改正(あるいは改悪)を目指す安倍総理は、公明党や一部の民進党の皆さんの加憲を利用して、自衛隊を憲法に位置付け、また日本維新の党が最重要課題としている「教育費無償化」を利用して、国民の下心をくすぐり、一世風靡しているポピリズムをツールとして利用し、自民党結党以来の懸案であった9条改正(改悪?)を成し遂げようとしていると思えてならない。衆参国会議員の2/3以上の可決、その後の国民投票での1/2以上の賛成により成就させるということである。まさに99条の「この憲法を尊重し擁護する義務を負うべき」国務大臣、国会議員の皆さんによって改憲がなされようとしているのである。

確かに、解釈改憲に限界が出て来た9条のダブルスタンダード(自衛隊は軍隊のようで、軍隊ではない)、昨今の北朝鮮の不届き千万な挑発に対抗する最大限の軍事力は必要であり、日米安保条約の下で、アメリカの核の傘で守られているという現実は否定できないということになろう。

北朝鮮が暴発し、ミサイルが本当に飛んできたら大変な事になる。不吉な想定をすれば、安倍総理の一途さは、我が身にも染み入るということになるのだが・・・  

 

そんな誘惑にかられる昨今であるが、愛の森という障害者支援施設に限定すれば憲法改正(改悪?)にしろ、北朝鮮の動向にしろ、どこ吹く風の平和が続いている。多少の人間同士の覇権争いは見え隠れするが、それを除けばいたって穏やかな、もしかしたら平和ボケのぬるま湯常態の中にある。たまに処遇改善を求める職員の声は漏れ聞こえて来るが、暴動が起こることはないし、鎮圧する必要もない。そんな平和な日々は、日本国憲法が誕生し、その後70年間の平和の重みの恩恵ということになろう。

障害者福祉は時流の中で多様な賛否両論を描きつつ今日に至った結果と規定しつつ、その評価の是非は別にして、平和が続いたがゆえの権利獲得であったことには間違いない。「人間は人生から問いかけられている」というフランクル(「夜と霧」の著者)の教訓に従えば、「日本国憲法は人間に何を求めている」のであろうか?改憲へ進む前に熟慮すべきは「憲法から問いかけられている」国民ひとりひとりの「思い込み」ではない「思い」である。宿題は重い。昨今党内の岸田氏、石破氏等の慎重論に多少の光明を感じ取りつつ、細心の吟味が必要なのである。

2017/06/01 08:38 | 施設長のコラム