愛の森コラム
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2019年03月01日(金)

IT技術の進歩と福祉施設を考える

ニュースで通信システムが5G(ファイブジー)になるというのを見ました。
私も素人なので詳しく説明できませんが、5Gとは何か言うと、現在のスマートホンや携帯電話の通信システムは3G・4Gなのですが、それがグレードアップするということです。要するに『インターネットの通信速度が速くなり、大容量のデータ通信が可能になる』ということです。
IT技術は日進月歩を続けている訳ですが、この分野は苦手な方からすれば、「ガラケーの私には関係ない」とか声が聞こえてきそうです。しかし携帯電話に限らず、様々な物がインターネットに接続されている今の世の中、通信システムが5Gになると生活がどのように変化していくものか調べてみました。

 

5Gは2020年の実用化に向けて研究されているそうです。
例えば、バスや工事車両の遠隔操作による運転とか、ドローンに付けたカメラを使用した危険地域の作業、医療ではロボットの遠隔操作で高度な手術をしたり、バーチャルリアリティー(VR)を利用した接客業など、様々な期待がされているところです。2020年の東京オリンピックの頃には自動運転のバスが導入されるなんて話もあります。

 

総務省が5Gの実証試験動画を出しています。下記のリンクからご覧下さい。
https://youtu.be/8Uwy5AS6zNo?list=PL7PI1l61-EVLG2pSuUkpXm06IqMFYWbp6

 

このイメージ動画を見ると、人材難の福祉業界に革命的なことが起こりそうな予感がします。例えば、帰省出来ない利用者さんにバーチャル映像で家族と面会していただいたり、バーチャル映像で旅行体験したり、ロボットやバーチャル映像が利用者さんのお話し相手をしたりと様々な可能性を想像することが出来ます。
昨今話題のAI(人工知能)と5Gの融合は、人手不足の日本社会に限りない可能性を感じます。十年後には福祉施設の事務所の受付は人型ロボになり、お金は電子マネー化されて、物品購入等の事務業務は全てコンピューターが自動的に行う。利用者さんの外出は自動運転の車両で移動して、コンビニなどでの物品購入は電子マネーで自動決済。厨房の調理もロボット化されて、人を介してのウィルス感染も心配なくなる・・・なんて世界がもう目の前に来ているかもしれません。社会の変化に合わせて、福祉施設生活も変化してきたように、様々な技術の発展は施設で生活する利用者さんの未来にもたくさんの可能性を広げてくれると言えます。

 

私は子供の頃、未来の世界を描いた科学図鑑を見るのが大好きでした。その世界が着実に近づいていることにワクワクしている今日この頃です。

 

職員M

2019/03/01 09:00 | 職員のコラム

2019年02月01日(金)

体験と経験と想像力

 梅の香りが気になる春待ちの季節、先日、ジャニーズの看板である嵐の活動休止が報じられた。この決断について、またこれに伴い行われた記者会見について、対応について、テレビやネット上では毎日様々な意見が飛び交っている。  

 愛の森の利用者さんの中にも、ジャニーズや嵐が好きな方は少なくない。活動休止を寂しがっての反応が見られるが、案外皆さん淡泊だった。報道を受けて感じたことは、テレビの世界が変わっていきそうだな…という事だった。  

 昨年には歌姫 安室奈美恵の引退、数年前には国民的アイドルであったSMAPの解散と、これまでテレビの世界をけん引してきた人たちが、次々に表舞台を去っている。嵐は休止まで2年の猶予があり、またSMAPの面々も個々での活動があるので完全に去った訳ではないが、テレビの世界の分布図が変わった事は確かだと感じている。  

 数年前はお笑い番組であふれていたテレビ欄が、近頃は海外での生活を紹介するような番組が増えたのも、時代の流れと共にテレビの世界に求められるものが変わったことが理由なのだろうか。  

 

 テレビに出る人を「芸能人」と呼ぶ。そのルーツを考えると、歌舞伎や落語等、芸術や遊芸、また役者等により多くの人たちが触れられるような媒介となったのがテレビであり、芸能人という呼び名がついたのだろうと考えている。(考えているだけなので事実は知りません。)つまるところの娯楽であり、利用者さんにとってはなかなか触れることの出来ない世界を、テレビを通して見聞きすることで世界を広げ、社会に触れるとても大切なツールであるのだと思う。  

 昨今は若者のテレビ離れがあると聞く。これ自体には然して興味はないが、インターネットの広がりが拍車をかけていることに間違いはない。ユーチューバー等、所謂「芸能人」でなくても有名になり、それを生業とする事が出来る世の中だ。  

 趣味嗜好が多様化し、インターネットの検索は一言入力すると何万もの結果がヒットする。大衆娯楽は時代から離れ始めているのか。一方で、始まりのきっかけは誰にも必要であり可能性は様々だが、テレビから受ける影響は多大だ。テレビから聞いた歌をうたい、テレビで見たご飯を期待し、テレビで見た景色を夢に見て、テレビに出ている芸能人に憧れる。  

 

 日々の愛の森学園での生活でも、利用者さん、職員と、テレビの話題で盛り上がることは少なくない。共通の話題として、思いの共有がしやすいのである。もちろんテレビ以外にも雑誌や買い物先など、日常生活上でたくさんのヒントを得ることは出来る。しかしそうした中で必要になるのは、想像力だ。想像力を豊かにするのは経験であり、想像と実際の差から生まれるのが現実であり、新たな想像だと感じている。  

 今後どのようなテレビ番組が制作されていくのか、そして我々はどういったものをその世界に求めていくのか。4Kや8Kのテレビも流通し、内容だけでなくその周辺機器にもバージョンアップが図られている。

 

 複雑になりすぎているこの時代には原点回帰をし、単純にきれいなものや楽しい世界、夢見ることの出来る世界を、きれいな画質のテレビでみたいなぁと思います。そうして利用者さんと一緒に眺め、行ってみたいね、食べたいね、と思いを共有し、出掛けていける世界を創っていけたら素敵だなぁ、と思います。

 

愛の森学園 職員O

2019/02/01 20:54 | 職員のコラム

2018年11月30日(金)

平成最後の師走に思うこと

先日、グループホームの日帰り旅行の引率で東京方面に出かけた。まずは、都内にある某一流ホテルでの豪華ランチバイキング。和洋中色とりどり綺麗に並べられた料理には、利用者のみならず引率した職員も心躍らせ、休日の贅沢なランチに舌鼓を打つ。バイキング料理の醍醐味は、好きなものを好きなだけ!?食事を楽しめることであり、現在流行の意思決定(支援)には最適なシチュエーションと考える。私の意思決定は、目の前で捌いて頂く特大の国産ローストビーフを贅沢にも2皿堪能することであった。

贅沢ランチの後はこの旅行のメインでもある東京スカイツリーへ。平成24年5月に開業した世界一高い自立式電波塔でありその高さは634メートルを誇る。当日は好天に恵まれ、開業から6年経過した現在でも大変な盛況振りであった。現地の誘導員の指示に従い高速エレベータに乗車すると、瞬く間に地上350メートルの展望デッキへ。そして、更にその100メートル高い地上450メートルの展望回廊からは、関東一円を見渡すことができる壮大なパノラマが広がっていた。幸いにも高所を苦手とする利用者がいなかった為、「富士山はどこ?」なんて会話が弾みながら思い思いの景色を楽しまれる。東京スカイツリーは平成時代の建造物の中でも、特にその高さと存在感が印象として強いが、その構造は伝統的な日本建築に見られる「そり」や「むくみ」をもち、五重塔の心柱制振システムなど、古来の技と日本の最新技術による制振構造となっているから驚きだ。展望回廊のあまりの高さと、壮大なるパノラマビューに高所恐怖症を忘れ、利用者との旅行引率であるにも関わらず、現実から少し逃避した感覚に陥るのであった。

愛の森学園は昭和63年5月に地上3階・地下1階の規模で開所を始めた。まさに平成と一緒に歩みを進めてきた施設である。入所利用者40人中、昭和63年当時から利用を続けている利用者は14人。重度の知的障害であればあるほど、時間やその経過の概念に理解が難しく、さらに30年の加齢や老いをどう受け止めているのかも定かではない。たかが30年、されど30年と思いつつ、平成と歩んだその30年の施設生活の重みを、我々職員はどう考え、受け止め、今後を見据えるか。その平成史の中で制度の流れは後半の15年間で大きく変動。長期に続いた措置時代は基礎構造改革を皮切りに自由契約へ。利用実績に基づく報酬改定に支援費制度・支援区分の導入。さらには地域福祉の推進。自己決定・自己選択から意思決定支援へ。制度は変われど入所施設の生活が劇的に変化(進化)を遂げたかといえば、制度改正に伴う職員処遇の改悪?や、質・量の不足もあり、様々な矛盾を感じるも、最低限の役割を果たしてきたことになるのか・・・。

平成は「天地・国内外ともに平和が達成される」と意味されるが、この30余年は天も地も内も外も大きな災害・事件等の出来事が多かったように思える。障害者福祉では制度上、入所利用者にとっては「内」から「外」へのスローガンが掲げられてきたが、リスク回避の優先や地域展開に意欲的になれない法人事情を理由に、議論を平らに成らされてきたように思える。

そんな平成もいよいよ幕を閉じる。今後の社会や障害者福祉がどのように歩んでいくのか不透明な部分が多いが、天地も内外も平和や幸福を追求することには変わりはない。今年は愛の森学園にとって様々な出来事があった年であったが、平成最後の師走は元号の意味のように全てが平和でありますよう、また、新元号が始まる新年を穏やかに迎えられるように・・・
 

愛の森学園 職員・E

2018/11/30 17:00 | 職員のコラム

2018年11月01日(木)

「親方日の丸」からの意識改革

JR東日本会長が国鉄の分割民営化から30年を語る、ある番組を見ました。
昭和62年4月に国鉄はJR東日本や西日本など数社に分割民営化されました。
今では信じられませんが、民営化前の国鉄時代はストライキにより、電車の運行が止まることがしばしばありました。今の時代そんなことしたら大騒ぎですが…。
当時、一介の国鉄職員であった現会長は、ストライキによって運行がされない貨物列車のコンテナに載せられた大量のみかんが腐ってしまうと心配したそうです。しかし、そんなことは要らぬ心配、この大量のみかんはトラックが運んでいったそうです。
昭和50年代、トラックや飛行機での輸送が格段に伸びてきた時代、貨物列車が衰退していく時代、この状況にとても危機感を覚えたと言います。
当時、実際に国鉄で働いていた方々は、お客様第一で仕事をしていなかったとは思いませんが、国鉄という会社自体が「親方日の丸」をバックに、利用するお客様のほうを向いていなかったかもしれません。
JR東日本会長は「今ではお客様だが、国鉄時代はお客さん、社内的にはお客だった。」 と言います。社員の根底に「親方日の丸」の意識があったのだろうと言います。
時代は変わり、湘南新宿ラインなどのように、各路線の乗り入れによって、電車での移動は格段に利便性が良くなりました。また革命的な技術の進歩で、電子マネーSuicaが広く普及しました。駅には商業施設が入り、高架下は飲食店が並び、都市圏の駅は活性化されてきました。そんな中、社員の「お客様第一」の意識革命も同時に進んだといいます。

「親方日の丸」の意識と危機感
社会福祉法人は当時の国鉄と同じ状況ではないかと思います。
社会的弱者のセーフティーネットという大義名分により、「親方日の丸」背負って、社会福祉法人は国に守られています。
介護保険法から障害者総合支援法と、目まぐるしく変わる福祉法制により、守られているだけの社会福祉法人の時代は既に終わっているはずなのに、NPO法人や民間福祉サービス事業者よりも、社会福祉法人は手厚く守られています。
そのため、平成29年度からの社会福祉法の改正によって、より明確に社会福祉法人のあり方を示すように、事業者には厳しいハードルが課せられました。社会への説明責任、地域貢献、事業の運営や財務の透明性などが強く求められています。私は日々の業務から、社会福祉法人に対する外からの目が厳しくなってきていることを痛感しているこの頃です。

社会福祉事業の意識改革
「思いやり」「寄り添い」「尊重する」など、福祉職員の姿勢として根底にあるものは、大きく変わることはないと思います。しかし専門職としての心構えや技術的な部分、障害者差別禁止法や福祉サービス種別など福祉施策、コンプライアンスの遵守やガバナンスの強化など社会福祉事業を取り巻く部分は、日々進化、変革をしています。
日本の社会福祉事業を切り開いた、多くの先生方が示した、福祉従事者の姿勢は変わることはなくとも、社会福祉事業の運営はその時代に合わせて変わっていかねばなりません。そのためには、日々の勉強と柔軟な考え方が重要であると思います。正直いまの私に一番足りない部分であることは否めません。

利用者さん⇒ご利用者様
JR社員のお客様への意識が変化していったように、社会福祉法人の職員も利用者支援の意識改革が強く求められています。
実際、高齢者施設の多くは「ご利用者様」と言う時代になりました。
障がい者支援施設においても「ご利用者様」と言うところが増えてきています。
しかし愛の森学園においては、未だ「利用者さん」と言います。
明日から職員へ「これからは「ご利用者様」と言うことにしましょう。業務命令です。」とすれば良いだけの話かもしれませんが、この部分はしっかりと話あって変えていかねばならないと考えます。
言葉を変えることで、利用者支援の意識改革は進んでいくかもしれませんが、社外的な呼び方をいくら丁寧にしても、社内的に「利用者」と言っていれば意味のないことです。

普遍的な社会福祉事業の責務とは?
時代と共に変化が求められる社会福祉法人の責務とは?
利用者さんをご利用者様と言う意味は?

時間をかけてでも、しっかりと揺るぎない考えを持って、それを後進に伝えていきたいと思う、肌寒い秋の夜長です。
 

職員M

2018/11/01 09:00 | 職員のコラム

2018年10月01日(月)

実りの秋に

暑さ寒さも彼岸まで、と言うのは昔の言葉だと思っていたが、今年は彼岸が過ぎると季節が変わった。愛の森学園で過ごすみなさんも長袖に腕を通し冬掛け布団に入れ替えて、めぐる季節の不思議を感じる。

利用者さんと柿の話をしながら思う、桃栗3年柿8年。桃の季節が過ぎ栗は毬を纏って実を見せながら、柿は枝を垂らしている。物事には時間が必要だ。めぐる季節を繰り返すことで、少しずつ形になる…というのは、世の中のたくさんの事に言える話。

ちなみに、愛の森学園の園庭の柿の木は、実がよく生る。毎年利用者さんと一緒に、時にサルに先を越されつつ、甘く熟した柿を頂くのも秋の楽しみ。また愛の森学園の園庭には、栗の木もある。しかし植えられてこの方、実が生ったことはないそうだ。

何かを学ぼうとして、何かを知ろうとして、何かを得ようとして、一朝一夕で適えられることはない。だから、世界が劇的に変わることはない。支援者の目線で、これはいつでも思わずにいられない。利用者さんの姿は日々変化し、何が必要で何を求められているか、常に模索している。昨日の正解が今日の正解とは限らない、どこまでも続く道だ。

しかし、しばしば世間を賑わす出来事が起こる。何かが起こると社会は変化する。季節のめぐり、時の流れのなかでは少々乱暴なやり方にも思えるが、しかしこうした時にしか社会は変わる事が出来ないらしい。これが歴史となる。そう思えば、世界はマイノリティが作っているのでは、という思考に至った。声を上げにくいはずのマイノリティは、時にマジョリティには到底適わない程のエネルギーを持つ。善悪はともかくとして、社会に変化を期待するのはむしろマイノリティなのだろうと思う。歴史を作ってきた英雄豪傑たちも、マイノリティからのスタートだ。

利用者さんたちの声は世間に届きにくく、その声を聴くのが我々の仕事である。聴くと訴える声は、「美味しいものが食べたい」「遊びに行きたい」等とても身近なものだ。しかしそんな身近なことさえ、簡単に適えられそうに見えて実はたくさんの確認や調整が必要になっているのが、現状である。何かが起きるとそれに対処する為の手順が増える。これは行政でも、愛の森学園での支援でも同じことのようだ。もっと簡潔に、利用者さん本人の思いを適えられるようになっていかなくては、と思いを改める。

10月は愛の森学園の一大イベント、森のカーニバルが待っている。まさに今、その準備が進められる中で、日々の生活が送られている。騒がしく過ごす日々の中では忘れがちであるが、「小さなこと程丁寧に」という思いを常に心に留め置いて毎日を過ごしていきたい。
 

愛の森学園 職員・O

2018/10/01 09:00 | 職員のコラム

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