愛の森コラム
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2014年05月01日(木)

福祉施設に監視カメラは必要か?

先日愛の森学園の玄関に置いていた東日本大震災義援の募金箱がなくなった。事務職員が不在となる夕方5時から翌朝9時までは、事務室で保管していたため、紛失時間は、午前9時から夕方5時であったと考える。中身は小銭が主だったので、2~3千円ほどであったと想定されるが、後味の悪い出来事であった。施設側としては、捜査権がある訳でもなし、職員に報告し、共同募金の募金箱も、玄関の棚から撤去した。監視カメラが設置されていれば、犯人は特定されたのだが・・・。


 過去窃盗歴のある複数の利用者の顔が浮かんだ。しかし、捜査令状なくして家宅(部屋)捜索はご法度である。「疑わしきは罰せず」「冤罪を出してはならぬ」とこの事件は、愛の森の管理体制の不備として落着した。募金箱の中身が何に消えたのかと思うと尺にさわるが、事件は迷宮入りとなる。

 時代は、プライバシーの保護を重視しつつも監視カメラで守られる社会が形成されつつある。多分ぶらりと厚木市内を散策すれば、複数の監視カメラに我が行動が映し出されていることだろう。犯罪解決効果は絶大であろうし、大多数の市民が犯罪防止の観点から許容する時代となったということか も知れない。人が機械に監視される社会は、息苦しい社会と思っていたが、解釈改変とは恐ろしいもので、監視カメラに守られる社会と考えれば、安心安全な生活が担保されると価値観は180度転換するということである。


 最近社会福祉施設内に監視カメラを入れるべきか、否かの話をする時間があった。但し利用者の居室内、トイレ内、お風呂内以外の場所での導入の是非である。

 賛成派からは「犯罪容疑者の取り調べにおいても、可視化の必要性が高まっている。不当な隠ぺいを根絶するためにも、カメラの力を借りるべきである」「転倒事故においても、職員、他利用者の関係する事故なのか、本人自身のうっかりミスによる転倒なのか判別出来る」「職員自身も不当な告発に対して、身の安全が証明出来る」等々が語られた。


 反対派からは、「そもそも福祉施設という生活空間に監視カメラが入ること自体問題だ」「利用者の安全、職員の保護という視点が強調されるが、管理者に24時間監視されるのは精神的に負担である」「チャップリンのモダンタイムズに出て来るようにトイレの時間までわかってしまうような監視体制は、人権侵害である」等々が語られた。


 我が思いは複雑である。職員からの利用者への不具合、真逆の職員への不当な告発への防衛機能は否定しないが、カメラではカバーしきれない死角での様々な問題、ともすれば信頼関係で成り立ってきた福祉労働を手放すということにもなりかねない・・・と危惧しつつ、リスクマネジメントの時代性は、ハイテクの力を借りざるを得ないご時世を迎えたということかも知れない。但し最小限にしたいと思いつつ、ドライブレコーダーの導入に踏み切った。白タクもどきに送迎車を動かしている福祉事業は、いつ何時交通事故に遭遇するかも知れない。その時に力を発揮するのが、映像である。解釈改変の危険性をはらみながらのスタートである。五月晴れの下、ドライブレコーダーが作動する愛の森の送迎車が厚木の町中を走りまわる。

2014/05/01 14:54 | 施設長のコラム

2014年04月01日(火)

人間であること

 新年度を迎えるにあたって、改めて人間対人間の仕事に携わる者として、勝手ながらの思いをご披露させていただく。


 まず、驚かされたのは、iPS細胞に勝るとも劣らぬSTAP細胞発見のニュースとその後のすったもんだである。刺激だけで、新万能細胞が造り出せると聞き、「何のこっちゃ」と思いつつ、ついに養老の滝を思い浮かべたが、不老不死が実現する日は眉唾だったのか・・・と複雑な気持ちになる。生みの母の若きムーミン好きの才色兼備の人間は。疑惑のヒロインとなってしまった。


 次もというか・・・佐村河内守氏の偽りの人生の発覚である。ろう者として振舞い現代のべートーベンとしてマスコミが持ち上げたご当人は、根っからの詐欺師であった。髪を切り、髭を剃った会見で、ゴーストライター新垣隆氏を「逆告訴する」と言い巻いたその人間性に唖然とした。言われるがままに様々な名曲を生み出した作曲家も人間、その名曲を我がものとし、更に今度は真実とばかりにまくしたてる輩も人間である。


 三つ目は、圧倒的な強さと、誰もが信じて疑わなかった高梨沙羅選手の第四位というソチオリンピックの結果である。17歳の双肩に金メダルのプレッシャーは想像を超えていたのかも知れない。高梨選手も、弱冠17歳の可愛らしい人間であった。プレッシャーを跳ね除けたのは、42歳のレジェンド葛西選手。最高の舞を披露した浅田真央選手も素敵な人間であった。


 最後に、「明日ママがいない」(日本テレビ)がセンセーショナルな問題提起を醸し出した。あかちゃんポスト、児童施設の実態とは、かけ離れた描写への非難・抗議。しかしながら「物語(フィクション)」であるという「表現の自由」尊重派と意見は分かれた。主人公芦田愛菜ちゃんも健気な人間、脚本家の野島伸司氏も鬼才の人間である。


 世相は、価値観の多様化の中で、様々な人間模様を繰り広げる。「仲良くしましょう」と激を飛ばしても、様々な権利と権利が、様々な価値観と価値観が、様々な正義感と正義感が、様々な国家感と国家感が個性・特性、既得権益という唯我独尊主義によって、諍いを繰り返す事態は残念ながら避けられないのが人の世の常かも知れない。安倍政権の前のめりの政治理念は変化しそうになく、如何せん、都知事選の20歳代の得票順位が1位舛添氏、2位田母神氏と知り、時代の危険な兆候を感じ取ったのは私が錯覚だろうか?


 障害者福祉は世相から取り残されつつあると感じつつ、国家的危機にはせめて加害者の役回りをしないだけ気が楽かも知れない。安倍総理大臣も人間、舛添新都知事も人間、田母神氏も人間、勿論、障害を持たれたひとりひとりも人間である。桜の散り際に無常を感じるのも人間である。

2014/04/01 14:59 | 施設長のコラム

2014年03月01日(土)

岩見隆夫氏に学ぶ

 明快にして、的確に政治の現実を分析していただいた評論家の岩見隆夫氏が亡くなった。哀悼の意を表すとともに、氏の最後の論文が「中央公論」に掲載され、読ませていただいた。


 氏の分析によれば、政治家は「ヒステリー」、マスコミは「せっかち」、官僚は「冷笑」であるという。私的に解釈すれば、選挙が怖い政治家は、時代が求める政策と選挙民、あるいは支持母体の既得権との板挟みの中でヒステリーを起こし、マスコミは、視聴率、販売数アップのための特ダネをとるためにストーカーのごとく政治家の足をすくうネタさがしにせっかちになり、官僚はそんなポピュリズム(大衆迎合)に高見の見物を決め込み、冷笑し、自らの利権に奔走しているということであろうか?


 また氏は、日本人を「あきらめよく」「ふてぶてしい」と分析している。そう考えると、我が処世術も自立と利他の精神に傾倒するより、 他者、特に強者にひれ伏し、時代が強者を変化させれば、すぐに乗り換えるという生きざまの道のりであったと自戒する。我がささやかな人生の中で「あきらめ」と「傲慢」が同居した事は否定出来ない。


 氏は故大平正芳元総理大臣を評価した。若い皆さんには「誰?」ということになろうが、我が青春時代は「三角大福中」と言われた実力者 政治家(自民党の派閥の領袖)のひとりである。因みに、三木武夫氏、田中角栄氏、大平正芳氏、福田赳夫氏、中曽根康弘氏である。「日本列島改造論」の田中角栄氏は、名前から戴いたが、名字の頭文字四文字と合わせて時の権力者を表した。講釈はこのくらいにして、氏は、大平氏の「田園都市構想」にシンパシィを感じていたという。人口20万人程度の都市が日本全国に散在し、都市の周囲には、日本の原風景である田園が緑と水をたたえる街づくりであったという。しか し、評価の賛否は別にして、日本列島改造が日本の原風景を利便優先で破壊する。そんな氏の思いはいまや不可能となってしまった。しかし、教訓は残る。「せっかち」なマスコミが「ゆっくり」とヒステリーに陥りがちな政治家の治療をしていけるのか?「冷笑」を生き様とする官僚が「人間らしい笑顔」を取り戻せるか・・・?


 昨今の障害者福祉もヒステリーにして、せっかち気味ではないかと思う。「利用者本位の自己選択・自己決定」「地域移行」。「ノーマライゼーション」に「インクルージョン」。「セルフマネジメント」「合理的配慮」に「計画相談」などなど・・・。理念はそれぞれに正しいとは思いつつ、その仕組み成熟への基盤整備と財源投資を甚だ忘れている。迫る大震災への防災対策、枯渇する福祉労働者の人材確保策というハード、ソフトの基盤整備なしには、 理念は求めるべき目標から、冷めたスローガン、袖ケ浦的事件もどきの不埒な再発への予兆に奈落してしまうことを肝に命じるべきである。「そんな現実を誰かが冷笑している・・・」と思うと腹が立つが、新年度は有言実行、体たらく撲滅を誓いつつ、心意気は春爛漫、いや福祉爛漫を目指したいと思う弥生の始まりである。

2014/03/01 15:05 | 施設長のコラム

2014年02月01日(土)

心配な気配

 障害者権利条約の批准が目の前に迫っている。条約とは憲法に次ぐ、国家としての責任が問われる決まりである。実に喜ばしいことと思いつつ、我がささやかな経験値は心配な気配の点滅を始める。なぜか・・・と言えば、階層社会が幅を利かす旧態依然たる国々が批准しているという実に不可解な条約ということである。詳細はホームページをご覧いただきたいと思うが・・・。


 そもそもタテマエの権利条約に落ち着くとすれば実に残念である。我がニッポンにおいては、魂が入る条約、市民権として守られる条約、もっと言えばお金を投入する条約であって欲しいと願う。


 しかしながら、少子高齢化にして国債に頼るニッポンの現実、またその打開策の成長戦略の中に権利条約の批准による経済効果を見出す事は難しい。如何せん経済効果という金儲けに加担すべき分野ではないということである。工賃倍増作戦等の障害者へ市場の原理を押し付けることへの不快感とともに、そうした階層社会に取り残された弱者の代表が多数の障害者であり、特に知的障害者であるということを忘れてはならない。筋論としては、民主主義を標榜する国家であれば、相応のお金が投入されるべき分野であり、ノーマライゼーションの生活形態が、「私たち抜きで私たちの事を決めないで」という当事者自身の権利宣言に基づいて達成されるべきなのである。ここに「しかしながら」が再登場する。


 しかしながら、需要と供給のバランスを考えると心配な気配は漂い続ける。福祉サービスの担い手が不足しているという現実である。理由は様々あろうが、根本原因は処遇が悪いということであり、使命感に頼る労務管理にあぐらをかいている体質である。但し、そうした使命感に基づく日常があまたの障害者を下支えしている状態は6現在進行形である。ゆえに、権利条約が批准したとしても、経済的恩恵の庇護がなければ、福祉現場は少子高齢化の長命化社会の中で、画期的構造改革でもしない限り、量的、質的レベルダウンは避けられない。画期的構造改革とは何か?

 

  1. 消費税の大幅アップによるベイシック・インカムの導入である。原資をつくり、国民全員に最低保障年金を支給する。老後の不安をなくす施策である。
  2. IT、ロボットによる業務分散化である。大量支援者熱血支援サービスから、少量支援者機能的サービスへの変身である。ハイテクの機能強化は支援者から技術者へのスイッチの切り替えである。
  3. 多国籍福祉サービス労働者の積極的導入である。介護福祉士等の試験のハードルを更に低くし、海外のハングリーにして有能な福祉従事者に門戸を開くことである。言葉の壁は、IT技術が解決してくれる。

 

 「待ってよ。待ってよ」と我が心の中にささやかに存在する良心がささやく。
 「そんな近未来こそ心配な気配だよ」と。我が理性は少し元気を取戻し、「理」を加えようと提案する。「心配+理」「気配+理」である。


 如月の朝は寒さが沁みる。夢の世界が教えてくれた「心配り」「気配り」の大切さである。

2014/02/01 15:14 | 施設長のコラム

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