愛の森コラム
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2018年08月31日(金)

世界でいちばん熱い夏!? 2018

このタイトルでピンっ!とくる世代は今月の筆者と同世代と想像させて頂く。
30年ほど前にプリンセスプリンセスが発売したシングルでしたね。

今年の夏は異常とも言える酷暑となった。例年にない梅雨明けの早さと、7月中から猛暑日が常連になるなど、記録的な暑さが続いた。
テレビの天気予報では、連日熱中症警戒予報も合わせてお知らせしてくれる。屋外での活動に対し、「注意」「警戒」「厳重警戒」「危険」が主なランクとなる。中でも「危険」と予報される日が今年は多く見られたであろう。しかし、恒例の夏の行事は、暑さに配慮をしつつも必ず実行される。その一つが夏の全国高校野球選手権大会だ。7月からの都道府県大会から始まり、暑さのピークとなる8月上旬から甲子園大会が開催される。特に神奈川県は学校数も多いことから、県内の主要球場にて過密スケジュールで熱戦が繰り広げられる。私自身野球はできないが観戦が大好きな為、アイフォンでトーナメント表を確認しながら休日に近隣球場で、必死に頑張る高校球児を応援するのが夏の楽しみの一つである。ところが、事前の天気予報を見ると熱中症ランクが「危険」(原則屋外での活動は中止)となることもしばしば。これを見ていつも思うのは、試合が暑さの為に中止や延期になることが無いということである。私もしっかり暑さ対策を施し球場に足を運ぶのであるがそれでもかなり暑い。とりわけグラウンドレベルの球児たちの体感温度は計り知れないと容易に想像するのである。ここ近年の光景としては、試合中に脱水によるものと思われる筋肉の痙攣(つる)がよく見られ、味方ベンチ敵ベンチ両軍から控えの選手が水分を持って飛び出てくる。そりゃそーなるよなと思いつつも試合は一時的な中断の後に再開される。天気予報の熱中症警戒予報に意味があるのかと疑問を抱きつつも、夏の風物詩でもあり高野連の諸事情等、夏の暑さを避けたスケジュールの組み直しは当分行われないであろう。汗水流し最後の夏に情熱をかける高校球児が、熱中症などによる事故が起きないことを願いつつ、自分も汗を流し球児と一緒に暑さを共感するのである。県代表の横浜・慶應は早くに散りながらも、準優勝の金足農業の大フィーバーで幕を閉じた、100回記念大会に相応しい夏の甲子園であった。

こちらもやはり夏の恒例行事?でもある日テレ系の24時間テレビが先日放映され、芸人の「みやぞん」が初のトライアスロン方式のチャリティマラソンに挑み、見事放送時間内での感動的なゴールを果たした。しかしネット上に踊った評価は「意味がわからない」「暑さの中で危険な行為」「事故があったらどうする」等、暑さ・企画・目的に対する批判が多く、感動と評するコメントはごく少数であった。武道館がゴールである以上、アスファルトの照返し地獄が待ち受ける都内をマラソンで走破するのは、確かに危険な行為かもしれない。残暑と呼ぶにも「みやぞん」が走った当日は桁違いの暑さであった。世論の評価で24時間テレビの風物詩?のチャリティマラソンは企画変更を余儀なくされるのであろうか・・・

兎にも角にも、世界でいちばん熱い(暑い)夏ではあったが、愛の森学園の利用者さんは適度にコントロールされた空調完備のもと、大きな体調異変もなく元気に乗り切ることができた。暑さには慣れも必要と思いつつも、無理をさせられないのが施設の実情であろう。もう少し涼しくなったら、初秋の風に吹かれながらの散策日課を再開させたい。
 

愛の森学園 職員・E

2018/08/31 17:00 | 職員のコラム

2018年08月01日(水)

星野さんから頂いた「信念」

去る 6月29日(金) 愛の森学園 施設長 星野 茂 が永眠いたしました。
生前のご厚誼を深く感謝し、謹んでお知らせ致します。

7月28日(土) 愛の森学園にて、星野施設長のお別れ会を執り行いました。
大型台風の影響でお足元の悪い中、たくさんの皆様にご臨席を賜りましたこと、深く感謝申し上げます。

星野さんは、愛の森学園施設長を平成12年4月1日より務められ、今年が19年目の年でした。
こんなに長く施設長の職務を続けられたのは、利用者個々の支援、障害福祉サービス事業、ひいては社会福祉事業全体に対して、強い使命感と信念があったからこそだと、今思っています。

その強い信念は、愛の森学園に関わった人達の心に残り、愛の森学園の運営にも形となって残っていくことと思います。

私は、星野さんの強い信念を星野イズム(と言えば良いのか・・・)として、たくさん頂きました。そのうち幾つかをご紹介します。

「決断」
星野さんは重要なポストや業務に、しばしば可能性に掛けたギャンブル的な人事をする方でした。思い切って若手にチャンスを与える決断は天才的でした。また決断の速さは尋常ではありませんでした。

「思い立ったが吉日」
先ずはやってみろと言います。やってから考え、修正するという考え方です。なので決済を出してからは即実行・即実践を求められます。その反面、考えが違うと思ったらバッサリと否定されます・・・。私は幾度となくバッサリやられてきました。
一歩前に出ること、即実行することを学びました。

「目撃者責任」
見た人がやる。気づいたらその場でやる。おかしいと思ったら直ぐに言う。
担当が誰とか、やった人は違うとか、そんなことは関係なく、直ぐにやらなければいけないことはそこにいる人がやれば良いのです。

「目配り・気配り・心配り」
星野さんの文書によく出てくる言葉です。利用者支援をする人だけでなく、仕事をする全ての人が意識して業務に当たれば、きっと良い方向に変わるでしょう。

「世代交代」
星野さんは、数年前より頻繁に言うようになりました。単純に若い世代に引き継ぐってことだけでなく、多くの信念が篭っていた言葉と理解しています。
上席が部下に言う「世代交代」は、自らの引退宣言とも取れるわけで、それなりの地位がある人が言うこの言葉の意味は大きい。そして、その言葉を受けた者は、その責任の重さを感じつつ、腹をくくらねばならないと思っていました。

早く早すぎる「世代交代」が実践されてしまいました。
星野さんが決断し、一歩前に進み、信念が照らす道
その道を進むのは、正直楽でした。部下は後ろをついて行くだけでしたから・・・。
空から愛の森学園へ信念の光を照らしてくれると嬉しいです。

今の私は、星野さんに感謝の言葉しか浮かびません。
星野さんが示した、職員として、管理職としての姿勢は、反面教師的な部分もありますが、これからも私の中で生き続けます。
18年3ヶ月、本当に本当にお世話になりました。
安らかにお眠りください。

2018/08/01 09:00 | 職員のコラム

2018年06月29日(金)

集団と個から考える今

 田に水が張られ、美しい水田が目を惹く季節。四季を感じる日本の中でも、とりわけ日本らしさを感じる季節となった。諸外国が刊行している「日本のガイドブック」には、この景色が載せられているのをよく見かける。

 

ただ今サッカーワールドカップの真っ最中。果たしてロシアの地でトロフィーを抱くのは、どの国なのか。

開催前の日本はいまいち盛り上がりに欠けていたが、始まればやはり見てしまうし、ニュースの上位にランキングしてくるのはこの話題。しかし、サッカー大国のひしめくヨーロッパや南米は、国としての気迫がやはり強い。

 

 では、この「国」の概念とは一体何なのだろうか。戦争と平和を繰り返し、土地に引かれた見えない線、或いは海に隔てられた境。土地土地に住む人間は、形は同じでも特徴には違いも多い。しかし、日本から一番遠い外国であるペルーの人にはどこか親近感の湧く面立ちも見て取れ、不思議だ。その国に生まれ、その国で育つ。どこであっても同じ事が起きているのに、取り巻く周辺の環境によって、見えるもの感じるもの考えること、沢山の事が違ってくるのだから、変化も著しい。

 もともと日本は「集団」の意識が高く、「個」は後回しにされてきた。それが徐々に「個」が押し出され、「集団」とのバランスに変化が出てきている。社会は多数が変えるというよりも、少数が挙げた意見に多数が賛同して変わると思っている。こうした事から、障害者福祉を取り巻く環境も、日本の中で少しずつ変化してきているのではないか。

とは言えまだまだ世間に十分には認識されず、所謂マイナーな世界。日々を生活する利用者さんたちは、毎日大小の変化の中で、それぞれの時間を過ごしている。4年に1度のワールドカップが開催されていても、中継は深夜。寝ている時間だ。観戦の是非は置いておくとして、「集団」や「個」の捉え方の変化は、愛の森学園の中でも変化のきっかけになっていると思う。

 

 個別支援計画の立案では、その人が何をやりたいのか、を、汲み取る力が必要。

汲み取った後は、集団の中では個別への対応にも限りがあるし、出来る事と出来ない事がある、この葛藤。それでも、やりたい、と意思を示してくれた事へはなんとか実現させたいと思う一種の職員のエゴで、職員も頑張ってみる。「個」が重視され始めてきたからこその支援かもしれないし、少数が認められる社会になってきたからかもしれない。障害者福祉の世界だって、時代の変化と共に、確実に変化している。

支援は地図上に引かれた線のように、実際には見えない、言葉のないやりとり。言葉の裏に秘められた、日本人特有の行間を忘れずにいたい。

 

愛の森学園 職員O

2018/06/29 22:18 | 職員のコラム

2018年06月05日(火)

フェアプレイについて考える

 MLBの大谷翔平投手の二刀流による圧倒的な活躍や、サッカーワールドカップロシア大会が目前に迫る中で、新体制の西野ジャパンへの注目に関心が高まる。更に2020年には東京オリンピックを控えるなど、スポーツの話題が多く取り沙汰される中、日大のアメリカンフットボール部の選手による悪質なタックル問題がメディアを騒がせている。

事の発端はまさに現代社会を象徴するようなSNSによるタックル動画の拡散である。相手の関学大が抗議し、日大のあいまいな返答に騒動が大きくなり、タックルを行った当該選手自らが記者会見を開く異常な事態に陥っている。

 

 名門・常勝という看板こそが、異様ともとれる勝利への拘りをつくり、監督・コーチと選手間における勝ちに対する考え・意識の乖離を生み、更に、手段を選ばないあの悪質なタックルが今回の騒動である。 学校側は単に勝敗に拘るが、選手は勝敗はもちろん、試合に出場したいという部活動経験者なら誰でも思う純粋な気持ちがある。

しかし今回の日大監督・コーチは当該選手を精神的に追い込み、その出場したい気持ちを関学大戦にあのような形で起用してしまった。

 一方でコンタクトスポーツは体と体のぶつかり合いが売りであり魅力の一つでもある。タックルを行った選手もルール(反則)に基づき退場処分も課されていた。アメフトルールを詳しく知らない人間からすれば、一見すると流れるプレイの一つに過ぎなかったかもしれない。動画が拡散され蓋を開けて判明した問題は、ルールを度外視した監督・コーチによる選手への一部威圧と支配の実態と、日大側がその悪質で行き過ぎた指導があったことを認めなかったことである。アメフトが好きで懸命に努力してきた選手たちへの影響を考えると不憫で仕方ない。再び日大アメリカンフットボール部がフェアプレイに則り、堂々とフィールドに立てる日がくることを願う。

 

 愛の森学園では、施設を利用する利用者と支援・援助を行う職員との両極的な関係性がある。その関係は縦ではなく対等と言いつつも、イニシアチブを握る職員によって利用者の生活が成り立っている雰囲気は、現場を監督する側として恥ずかしながらも散見される場面がある。ここで要になるのが職員の仕事上のルール(倫理行動綱領)に基づいて業務に当たることである。また最近のトレンドとしては「意思決定支援」に基づく利用者支援が加速している。実状としては満足に職員人員が揃わない中、制度の変化、利用者の加齢化・重度化、さらに「働き方改革」が織り交ざり現場は混沌とする。管理する側の頭を悩ませつつも、起こしてはならない支援のアンフェアの一つは、職員による利用者への不利益な関わりであろう。特に重度の知的障害者はその不利益の概念すら分からず、不服として訴え出ることも困難である。これをいい事に職員が利用者を威圧したり、服従させたりとパターナリズム化された関係性には危惧しなければならない。

 アメリカンフットボールはフィールドに立つ選手が主役であり、入所支援施設ではそこで生活する利用者が主人公である。これを前提に考えれば、何がフェアで何がアンフェアか。 状況等を言い訳にせずに、先ずはルールに則ってやりましょう、ってところである。

 

愛の森学園 職員・E

2018/06/05 15:30 | 職員のコラム

2018年05月01日(火)

自分で決めるということ

 学生時代に先生に教わったことを思い出す。社会福祉の概論や施策は目まぐるしく変化する。10年ひと昔というが、社会福祉も10年で大きく変化するといった話だったと思う。私が知的障がい福祉の仕事に携わり26年が経過した。確かに利用者さんへの支援、福祉施策、事務仕事などなど、随分変わったな・・・と思う。

 そして今の時代は意思決定支援が大きなテーマである。どんな重いハンディキャップを持っていても自己選択の力はあり、その力を引き出す支援をするということが意思決定支援ということだろうか。(随分と簡略してすみません)愛の森学園でも、研修会を開き、支援員にガイドブックを配布し、皆で勉強中である。

 

そもそも知的にハンディキャップを持って産まれた方は、特に意思決定をする機会自体が少なかっただろうと思う。意思の表出が少なければ、周りの人々が決定をしてしまっていただろうし、親や支援者はこの子(利用者さん)を守るべき存在と思うばかりに本人が決められるべきことも親や支援者が決めてきた過去が少なからずあっただろう。それが意思決定の機会を奪っていたといわれる訳である。

 私の場合、三人兄弟の末っ子で比較的放任で育てられたこともあって、自らの決定に否定されることは少なかった。そういう子供の頃からの経験というのは大切で、失敗も成功も経験することは必ずその後の人生に役に立つものである。

 それは知的にハンディキャップを持つ方も同じで、普段から自分で決めることをして来なければ、自分で決めることなんて出来ないし、自分で決めたことに失敗と成功の経験がなければ、現実的な意思決定をする力は養われないと考える。親や支援者が決めてくれる環境に身を置いていれば、おのずと自分で決めることすら出来なくなるし、考えることをしなくなるだろう。

 

 支援者は、その人(利用者さん)の小さな思いをいかに汲み取り、小さなことをいかに実現に導くか。それこそが、その人(利用者さん)の意思決定の力を伸ばす方法なのだろうと考える。支援学校や障がい児支援においては意思決定を幼少期から伸ばす教育・支援が行われていると聞く。障がい者支援においては小さな意思決定の機会を大切に、意思決定を導く支援に力を入れていかねばと考える、

 伝説の漫才コンビやすし・きよしの西川きよし師匠が「小さいことからコツコツと!」と言う。この言葉の意味合いは、意思決定支援には全く関係ありませんが、我々支援者は障がい福祉の専門家として「小さいことからコツコツと!」日々の関わりを大切にしていかねばならない・・・そう思うこの頃です。

 

愛の森学園 総務責任者 武藤祐生

2018/05/01 09:35 | 職員のコラム

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