愛の森コラム
2019年05月31日(金)

「平成」から「令和」に思うこと

年号が平成から令和に変わり、テレビではまるで年末年始のゆく年くる年のようなお祭り騒ぎ。私自身も新たな時代に期待と喜びを感じつつも少し冷めた目でテレビを眺めていた。

昭和後期生まれの自分にとっては、平成は学生時代から就職、結婚、子育て(継続中)を駆け抜けた時代。ひとつの時代が終わり、新たな時代、我々の子ども達世代の時代が始まるのかなと、思いに耽ったりしてる。

話は変わるが、いつの時代にも人間は様々な出会いを経て大人になっていく。中島みゆきの曲ではないが、時代はまわるし、別れと出会いを繰り返す訳である。
私自身、平成の30年間は、ちゃらんぽらんな学生生活、就職、愛の森学園に転職して今に至る訳だ。このたった一行にたくさんの別れと出会いを繰り返している訳である。

人生は不思議だ。過去の大抵の出来事は、未来の今に何かしら繋がっている。嫌々やっていたことが大人になり糧になっていたことに気付くなんてしばしばあるし、人との出会いも同じで、仲の良い人や親兄弟のように自分に近しく理解のある人だけでなく、ウマの合わない人もいたから今の自分があり、思い返せばその人が大恩人だったりする。様々な出会いの分だけ人生のターニングポイントがあったと思う。
と言うことは、その出会いがひとつでも欠けていたりしたら今の自分は全く違う自分だったかもしれない。幾つものパラレルワールドがあったのかもしれないと思ったりする。
 
人間はひとりでは生きていけないなんて昔から何処かの誰かが言っているが、本当は1人で生きていこうと思えば、なんとなく1人で生きられたりするかも知れない。でも自らが生きてきた道程振り返ると完全に1人で生きることは不可能だし、そもそも人間なんてちっぽけなもので、意地を張って「1人でも生きられる!」なんてのは、思春期の子が頭に血が上って言う言葉である。
人として人と出会い、愛し愛されて、別れと出会いを繰り返しながら、生きていくのだ。今の私は、たくさんの人達との出会いのおかげで存在しているという考えに行き着く。

いつしか令和が終わりを迎える時、まだ私がこの世にいたならば、令和時代においての人生の変化に思いを馳せることだろう。
そして今よりももっと、たくさんの人達との出会いに感謝が出来る自分でありたいと思う。
 

職員 M

2019/05/31 17:00 | 職員のコラム